7月14日(金)の日記(生涯学習について)
こんにちは、翼です。
精神年齢は高校生くらいにまで成長しました。
しかし知識が伴わず、
漢字を筆記で書こうとすると、どうにも思い出すことができません。
勉強をするというのは、実に意味のある行為だと思いますが、
それを学習し習得したにも関わらず事故であれ、
その記憶を失ってしまい、再度同じことを学習することは、
断片的に覚えているからこそ、苦なのではないでしょうか。
必要のなかったはずのことを勉強することは、
徒労に思えます。
しかして、それをしなければ、肉体年齢なりの能力を発揮することは困難です。
そこで方向性を変えると、
学び直すというのをベクトルを変えて仕舞えば良いのではないか
という仮説が成り立ちます。
つまり、
「漢字を学習する」
ためにドリルを使うのではなく、日常で書けなかった、或いは、書きたかった文字、
特に自力で調べてでも書きたかった漢字をひたすら反復練習するということです。
興味のある分野は大学で専攻していた分野ではありません。
幼い頃「貴方には無理だ」と否定された、志していた分野です。
漢字を学ぶ段階で、人はまだ、自分の興味のある分野を特定出来ていません。
なので、全てのジャンルをカバーできるように漢字を習います。
しかし、そのように多ジャンルでの会話をすることなど、ほとんどありません。
興味のある分野で読めない漢字を聞いて教えてもらったり、
書きたいのに平仮名しか思いつかず恥ずかしく思ったり、
そういった「経験」こそが学ぶきっかけになるのではないかと思うのです。
人は学ぶことを、探求することをやめたら、ただの葦です。
有名な言葉ですね。
「人間は考える葦である」と。
つまり、「考える」ことをやめると、
途端に「人間」ではなくなり、「葦」になってしまうのです。
学習に年齢は関係ありません。
僕のように記憶を失っていない方でも、
社会情勢は常に動きますし、
投資などのお金の動きも変わりますから、
学習することは、あなたに関係のない話ではありません。
ともに学びましょう。
大人として、
子供たちにこの仮初かもしれない平和を、
残すために。