きもちの名づけ
私のきもちは抽象的だ。
今日は”羨ましい”だった。
会社の同僚がこの後飲みに行くと話しているのを聞いてこの気持ちが湧いてきた。
その時から帰り道の間ずっと、漠然とした焦りと”羨ましい”というきもちが心を侵食してどんどん悪い方に考えていかせようとしていた。
・私は金曜日に飲みにもいかないような陰キャなのか
・同僚と仲良くはしていたが飲みに行くほどの仲ではないのか
・自分はなんて中途半端な人間なんだろう
・他人と本当に仲良くなれないんだよな
とかね
嫉妬と自責の念、恥ずかしさにどんどん心が包まれていって、自分って本当にダメなやつなんだなと沈みかけていた。
電車に乗り込むときにこの人たちはどっち側の人なんだろうかと思い始めた。私と同じで金曜に飲みにもいかず直帰する陰キャかこれから街に繰り出す陽キャなのか。
同類を探して見つけて安心したかった。
今思えば寂しい行為だけど、自然とそうしてしまう程視野もきもちも狭くなっていたんだと思う。
乗った車両には一人の人が多かったから、みんな直帰する人たちかと安心していたら、ふとどうしてこんな嫌なきもちが溢れてくるのか不思議で、このきもちの正体を知りたいと思った。客観的に認知したくなってきた。
だから理由を探した。
これはどんなことが発端で発生しているのかがわかれば、改善への第一歩だと思ったから。
今日のきもちはおそらく同僚が飲みに行くのを見たからだけど、もっと細分化してみた。
飲みにいくという行為が羨ましかった?その人と飲みに行く関係なのが羨ましかった?金曜日に直帰することが恥ずかしかった?飲みに行くような人が周りにいない、自分の関係づくりの下手さが嫌だった?お金が無いからと言い訳してしまった自分が嫌だった?自分が誘われていないことが嫌だった?
今の自分に渦巻いているきもちは一体どんな名前なのか、自分で思いつく限りの可能性をあげてみた。
すると今の自分のきもちとズレているものとまさにそれだと合致するものがわかってきた。
あらゆる可能性を自分にぶつけた結果、
①私はその人と飲みに飲みに行くことが羨ましかった
②自分が誘われなかったのが悲しかった
③金曜に直帰する自分が恥ずかしかった
これだった。
冷製に考えて自分の周りにも飲みに行く友達はちゃんといた。ただ毎週飲みに行くようなタイプの関係ではないだけ。きっと誘えばいつでも行ってくれる。
だったら誘えば問題ないなと気づいた。欲張れば誘わずに誘われるような人間になりたいと私は常々思っている。誰かに求められたいんだと思う。
誰かに誘われる人が羨ましい、この人と飲みに行きたい飲みに行くならこの人に声をかけようと思ってもらえる人になりたいと。
自分の周りでそういったタイプの人はもちろんいた。そういった人はどういう人だったかというと、相談を受けたり他人の深いところまで話してもらえる人だった気がする。
自分もそうなりたいと思うが、今の話題から脱線してしまいそうだからまた今度考えてみよう。
話を戻すと、飲みに行かない陰キャという可能性は自分が行動すれば解決しそうだ。
①のこの人と飲みに行きたいのに自分は行けていない。悔しい。はこれも自分から誘えば解決することだと分かった。
②の可能性も考えたが、飲みに行く同僚は仲間外れになるほどそもそも深い仲ではなかった。私はただ他人から誘われなかったという事実が悲しかったのだ。これを解決するにはさっき脱線した話に戻らなくてはいけないので一旦保留。
③はこれも自分で声をかければ解決じゃないかと気づいた。
自分のきもちに名前を付けると不思議とモヤモヤと距離を置いて見ることが出来て、頭もすっきりした。
自分自身でありもしない考えを巻き込んでどんどん足を絡めとっていることがわかったし、ちゃんと解いて見ていくと自分のきもちに繋がっている本当の理由が掴めた気がした。最終的にこの嫌なきもちを抱かなくて済むようにするにはどうしたら良いのかまで思考を進めることが出来た。
解決方法としてはやっぱり自分が動けば状況を変えられるのではないかという基本的なことに落ち着いた。
基本だからこそ面倒くさいし労力かかるし見落としがち。でも何かを変えてみないと結果はずっと変わらない。
早速今度飲みに行こうと友達にlineを送った。
一歩前進。
もしまた渦巻くきもちに襲われたら、一つ一つに名前をつけてあげよう。
そうすれば自分の本当の気持ちが知れるかもしれない。ちょっとずつ頑張れ自分。
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