見出し画像

自分の本質は格闘家ではないと思っている

ここ数日間は、自分のこともロクに出来ず、なんとも言えない日々を過ごした。

アウトプットがないと行き詰まってしまう自分もいれば、一旦試合に負けたので、とりあえず緊張の糸が切れてしまった自分もいる。根本の取り組みを変えたいとも、思っている。

それでいて昨日はずっと寝ていたし、近所のcafe&barにコーヒーだけ飲みに行ったり。
僕は本当に弱い人間で、自分の痛みに敏感だ。最近になりようやく他人の痛みを、なんとなく無意識で理解できるようになった気がしている。

短距離走が得意で、長距離走は苦手。一昨日のようにちょっと力を入れて練習した次の日は、身体が痛くて立ち上がれない。憂鬱にもなる。強烈なフックを被弾した日には気持ち悪くなり、体調不良になるし、練習を2週間続けたら、もう身体が悲鳴をあげ、右のもも裏が張りすぎてしまい、前にかがめなくなってしまう。そして疲れていないと基本的に、寝れない。

それを避けるために、

しばらくはこれで様子を見ることにする。

僕のSOSのサインでわかりやすいのが、「自分のことが出来なくなる」だ。

懸命に誤魔化しているが、誤魔化しが効かなくなる瞬間が訪れる。

片付けもできなくなるし、お金の管理も出来なくなる。
冷静な判断も出来なくなる。感情コントロールだけはなんとか、出来る様になってはきた。自分は凹凸のあるこんな人間だ。

自分の本質は格闘家ではないと思っている

格闘家の人は皆、強いなぁと思う反面、本当に強い人って、格闘技をやるのかな?とも思う。

僕は生まれてから今まで嘘をつくことが出来ず、体かメンタルに不調が、顕著に出てしまう。これをリカバリーする術を懸命に身につけてきたように、思う。ただその術も、付け焼き刃だなと感じる。

自分の母親に対しては「あなたみたいな夢も希望もない大人になりたくない」

と伝えたし、唯一サラリーマンとして、6年間で4度の睡眠障害に自律神経失調症、無断欠勤、ボイコット、副業禁止の中副業をしたり、ここは俺のいる場所ではないと最後は、「好きなことで生きていきます」頭を下げながら、中指を立てたり。

分かっていることが、1つだけある。

自分に合ってるものに対して、苦痛は存在しないことを知っている

試合が決まった日は実は、怖くて堪らなかった。まだ始まってもいないのに。

自分に合ってるものに対して、苦痛は存在しないことを知っている。

例えば大好きな友達に対して、恐怖や苦痛を感じるだろうか?
僕の親友に対してそのようなことは、これまで15年の付き合いだが、感じたことは一度もない。

合うの究極の形だろう。

これが音楽やエンターテイメント、若い女の子に対しても同じことがいえる。
本質が格闘家でない。朝倉未来選手や那須川天心選手のような感じでもない。

僕の周りは強い人が多いから本当に自分は弱いのではないかと、思っている。
人より練習も出来ないだろうし、練習量が成果にそのまま直結することがないことは、サーファー時代によくわかっている。

RIZINに行くという目標は分かり易いから作っていたので、あそこに本当に立ちたいのか?言われると?

今のところ今年の2022年大晦日RIZINに出ることは、ドラゴン桜的にいうと、E判定だと思っている。当社比で、10%以下。プロ選手とぶつかり、勝つことは5%以下だろう。いろいろなことが間に合っていない。それほどMMAという競技は、奥が深いし、大晦日RIZINにキャスティングされることの難しさを知る。そして、僕の中で格闘技選手を演じるということは、作品作りだと思っている。

なので、この役を演じることにあたり、起こり得る現象がとても好きなのだ。

ここに満足したのであれば、RIZINに出るでないの結果って、然程大切ではないことが見えてきて、この作品に関わる人たちのためにRIZINの舞台に立つんだ!とは、思う。ただ自分にとっての理由は、ない。ビジョンを実現するために、もっと若い子たちにメッセージやコンテンツを届けるために、やっているから。本当にない。世界に出るための一歩なので。僕を応援してくれる人やスポンサリングしてくれる人には、「え?」と思われるかも知れない。ただこれが本当の気持ちなのだから。闘わずして出るならそうしたい、ハリウッドに出るために、アクションをやるのであれば、僕はそちらの練習もするだろう。

プロになれる可能性がある総合の選手と、最初はこんなきっかけで選んだ。

RIZINが1番のモチベーションではないことにも、気がつけたし、僕は仲間や家族が欲しかった。

ずっと孤独を感じていた。だから格闘技選手を演じることで、今その仲間や家族が出来ている。

僕に関わる人には、結果や目に見える成果を提供したいし、僕とこの物語を作っていこうぜ!というスタンス。どんなに届かないと思っても、諦めず根気良く伝わるまで、出来るまでやる。

そして出来なくても、見捨てることはない。
なぜなら、仲間であり、家族だから。僕と関わる人は、安心してほしい。僕はそういった人間になったから。

そして僕はもう一つの気づきを得る。自分に合わない人の型をやることは、僕にとっては無理だ。ということ。

この記事を読んでくれているあなたにも、伝えたい。
合わないものは、どうしたって、合わないのだ。やらなくていい。やってみてダメなら、捨てていい。

合わせようとする努力は大切だ。それをしても合わないものは、合わない。最初にも伝えたように、合うものに出逢ったら、努力なんていらない。合うものに出会う努力をする方が建設的だ。

この現象を、ジャストフィットではなくシンデラフィットと呼ぶことにしている。
もう分かるのだ。これが合っているって。まるでガラスの靴を履き、王子様が迎えにきた、シンデレラのようにね。

僕は最初から本来人間は、分かってると思っている。自分の気持ちと体に嘘をつかなければ。

痛みに違和感に自分の気持ちに嘘をつけない自分からするとね。ひと目見た時から、心掴まれているものを大切にすると良い。僕はそうやって生きてきたつもりだが、それを手放してしまったり、悲しい別れも経験してきた。

こんな自分が格闘技選手をやることに意味があると思っている。

練習をするのは楽しい。新しい技術を身につけるのも、楽しい。ただ、痛いし苦しいけれど。
長い目で見て、格闘技選手もやっていく。

格闘技選手もやっていく。

副業格闘家として。それが良い。

もう、格闘技だけの人生ではないのだから。

最後まで見て下さりありがとうございました。
また書きますね!

鞆谷翼

いいなと思ったら応援しよう!

TSUBASA TOMOTANI(鞆谷翼)
いいなと思われた読者様は、是非いいねコメント、サポートよろしくお願いします!活動費に当てるのと、サウナに行くために使わせていただきます!