162日目:まち【街】→エッセイ
まち【街】
人が多く集まり住んでいる所。
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わたしの実家は、日本三大歓楽街の一つともいわれるススキノから、歩いて20分くらいの場所にある。
実家周辺は一見なんの変哲もない住宅街だけれど、子供たちは思春期に差し掛かると、徐々に夜の街がもつ意味を知る。
小学生は無邪気に、大人の行く街でしょ? と思っている。
中学生になれば、水商売・風俗の意味がだいたいわかる。
高校にはいると、女子の一部は年齢をごまかして夜の街で働き始め、男子の一部は客になる(全員とは言わない。わたしの周りは一割くらい居たかな?)。
あの街では“普通”の女の子も、すこし足を踏み外しただけで、歓楽街で待ち構える大人たちに腕をとられる。
プリクラを撮りに、クレープを食べに向かった街で、少女たちは寂しさにつけいられる。
そりゃそうだ。十数年しか生きていない女の子たちが、その何倍もの年月を夜の街で過ごしてきた大人に敵うわけがない。
わたしは何度、女友達に「実は…」とキャバクラや風俗で働いていると打ち明けられたかわからない。
「水商売なんて可愛いもの」と他県の方は思うかもしれないが、ススキノはキャバクラですらダウンタイムがある。
(女性が半裸で客の膝に対面で座り、いろんな所を触られたり舐められたりする。詳しくは、『すすきの キャバクラ 遊び方』でググって下さい…。)
『この街が行き場のない人の受け皿になっている』という話もよく聞く。
だけど、だけどさ。
行き場がなく寂しかったり、周囲よりちょっとお洒落をしたかったり、自分で学費を稼がなきゃいけない女の子達の受け皿が、性欲にギラついた大人の腕の中なんて、あまりにも悲しくないだろうか。
わたしは、一緒に制服を着ていた女の子達が夜の街に繰り出していくのを、「彼女たち自身の選択だから」と自分に言い聞かせてきたのがいいことだったのか、未だにわからないでいる。
風俗があの街の大きな観光資源だなんてわかってるし、夜の街で働く友達を否定なんてできないんだけどさ。
ダッサイ制服着て一緒に退屈な授業を受けていた頃に戻って、あのこをぎゅっと抱きしめたいなんて、思うんだ。
(念のため…。水商売・風俗で働く方を否定する気は全くないです。十代の子たちを騙すような形で金儲けに使う大人たちがいること、社会にそこしか受け皿を作れていないことが、今や自分も大人なので、子供たちに申し訳ないなって話です。)