デザインとラボについて
デザインとラボの両輪で走る
ツバメアーキテクツはデザイン部門とラボ部門の二部門がある。デザイン部門は建築設計やインテリアデザイン、家具設計などいわゆるデザインを生業とする。一方、ラボ部門は建築の前後を考えることを生業としている。わかりやすく言えば研究・開発を行う。別の言い方をするならば、建築の入力(条件)自体をデザインしたり、出力(成果、運用)をシミュレーションしたりする。
なぜこういう体制にしているか?
事務所を設立したときに、家やオフィスといったビルディングタイプが抱えてしまう「想定」(用途自体が纏う社会的常識など)を自分達の価値観で構想しなおしたいと思ったから。当たり前だと思われている事物の「序列」のようなものを再配置することが新しい建築につながると考えている。
建築のプロジェクトを開拓していくという意図はもちろんあるにしても、建築の入力と出力の関係性や、新しい建築のあり方の汎用性・再現性を検証するためのラボだと言える。
「家ってそもそもなくなるんじゃないか?」や「オフィスビルって夜真っ暗だけど、困っている人に貸し出せば一石二鳥じゃないか?」、「福祉施設は人々が暮らす場所なのになぜ病院みたいな作りなのか?」と言ったことは建築を学ぶ前から感じていた。
震災以降、あるいはコロナ以降にもおいて、家で働くことが当たり前になり、わざわざ行くオフィスや会議室のあり方自体を見直そうとする企業が増えてきて、そう言ったことが浮き彫りになったと言える。
また、大学や大学院において研究をしていた時に、研究スキルを設計と連動させればもっと自由に、能動的に建築を作れるのではないかと感じることが多々あったので、ツバメアーキテクツにおいてはデザインとラボの二つの領域を作ることはごく自然なことであった。
以下、両輪で生み出されたプロジェクトを簡単に紹介する。
施設運用のシナリオを描く 時間のデザイン
[NHKの次世代スタジオ調査・研究]
調査・構成:ツバメアーキテクツ/ディレクション:P.I.C.S. Co., Ltd (2017)
複数の施設を所有している企業にとっては、長い時間軸の中で施設運用を創造的に考える必要がある。本プロジェクトにおいては、放送局の次世代スタジオの調査・研究を行い、施設運用や展開について提案をまとめた。クリエイティブディレクターやアニメーターとコラボレーションする形で約十分のアニメーションとして納品された。時間のデザインとも言える。
[NHK Media Design Studio] 担当:ツバメアーキテクツ(2020) 写真:Kenta Hasegawa
放送局本社とは切り離した新しい形態のスタジオのプロジェクトに展開した。様々な機能を持つ20メートルの架構を単管で構成した。舞台セットの作り方を参照しながら収まりを決め、全体としては仕上げを通常の半分以下にすることで、施工費用・工期の削減を目指した。架構は”舞台裏”としての意匠を纏うことになった。
まちのリバースエンジニアリング
[下北沢 BONUS TRACKの内装監理業務] ツバメアーキテクツ(2019-)
東京の専門店街や商店街を歩いていると、物を自由に店の外にはみ出させてたり、思い思いに店を改造していたりする、魅力的な場面に遭遇することがある。そう言った状況を自分達の設計する建築でも自然で、安全で、合法的な形で取り込めないかと考えた。まちで起きていることを建築設計において再現性を与えるという、いわばまちのリバースエンジニアリングと言える。ここでの学びが、庇や外壁の改造を可能にするルールづくりや建築のディテール、溢れ出しを可能にするリースラインと撤廃や運営体制などにつながった。
[BONUS TRACK](ツバメアーキテクツ/2020) photo:morinakayasuaki
上に書いた内装監理業務の成果(建物への改変が起きるbeforeとafter)。写真はまだ数ヶ月程度の時間経過を示している。さらに数年単位で時間が経過するとより自然な形で場の雰囲気が立ち上がってくるだろう。
デザインとラボを循環させる
前述したようにラボからデザインに移行するだけでなく、次の一手を考えるためにまたラボに戻し、ぐるぐると回しながらそのフィールドに深く関わりながら建築を考えるための方法論である。
下北沢の開発においても、LABとDESIGNが交互に業務を担当しながら、敷地を超えてプロジェクトを展開し続けている。建築を作ったことによって発見された人々の振る舞いを支えるようにまた別の建築を作る。その作業の真っ最中だ。
違和感をスキル(職能)に変換する
この循環のエンジンは何か。それはプロジェクトや日常生活で遭遇する"違和感"に他ならない。
最初の話に戻る。「家ってそもそもなくなるんじゃないか?」や「オフィスビルって夜真っ暗だけど、困っている人に貸し出せば一石二鳥じゃないか?」、「福祉施設は人々が暮らす場所なのになぜ病院みたいな作りなのか?」といった建築学に出会う前から抱いていた違和感のようなものを、維持し続け、建築の種にしていくための循環システムと言える。
例えば、あるビルディングタイプに違和感を抱く場合、そこを切り崩すためには、まず現状の作法や状況をまず理解する必要があるのでそれなりのリサーチが必要になる。それがラボ業務だ。その知見をベースにデザイン業務を行う。次は、そこで作った建築が偶然の産物ではなく、新しいビルディングタイプとして位置付けられるか、とその再現性について検証していく作業もラボ業務として行えればベストだ。それを繰り返し次の建築を作っていく。
この「1回目」のラボ業務というのは、分析方法や表現自体も初めて行うことがほとんどであるので、試した方法が全てうまくいくわけがない。しかしその中で発見された比較的、説得力のある方法は、2回目以降には自分たちのスキルセットに変換されていく。
それをひたすら繰り返していった結果、ラボのポートフォリオは蓄積してきた。(しかしラボ業務は守秘義務的に世に出しにくいものがほとんどであることも事実)
社会構造の一端が自分の目の前に顔を出す時に、違和感を抱くならば、それは改革を起こすチャンスだと思う。
その違和感を放置せずにそれに向き合うとそれがスキルになる。これを「社会構造を掴みとる」という言い方を良くしている。それができるようになってくると、日常生活においてさえ感じるストレスも、建築の質に変換できるような気がしてくる。
その社会構造やその変化を掴むきっかけは、日常生活の至るところにある。傾聴や観察というのは人柄や趣味としてではなく、あくまで構造を把握するためにやるべきだと思う。
さらに、教育現場においてもそれを強調している。私が教えることに違和感をあったら教えて欲しいということと、それが次の建築(や表現や職能)を生む入り口になるということを考えている。
違和感への対応の仕方によって、建築家として歳を取るのが楽しくなるか、不安が増すか、ストレスに押しつぶされるか、乗り越えるか、など分岐していくのではないだろうかと日々考えている。
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