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架構について

建築を設計する時に、架構と設えに分けて考えることがある。架構というのは柱・梁などから成る構造体のことを言う。設えというのは家具や建具など日常的に移動させて使うものである。

これは日本の古くからある建築のほとんどが木造軸組の架構と襖や障子などの柱間装置から構成されていることにも通じる考え方である。

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神戸のアトリエ付き住居(ツバメアーキテクツ/2019) photo:Kai Nakamura

なぜこのような考えに至ったか。手がけるプロジェクトは、新築が増えてきたが、相変わらず改修からも学びが多い。築200年、50年、30年の建物が建てられた時代の常識がそれぞれ異なる。いま自分が手掛ける新築も、何十年後に全く異なる常識にさらされる。そのときに残してもらえるか、その時代の建築家に活用してもらえるか。そんなことにも関心が出てくる。

奈良井宿現場

奈良井宿の宿(ツバメアーキテクツ/2021予定) photo:Takuto Sando

伝統建築の多いエリアで仕事をしていると、柱梁は大事にされるが、その柱間に収まる壁や建具は基本的には作り変えられる。(街並みに寄与する構えや重要な建具などでない限り補助の対象にならない、という意味)

壁を耐震壁に変えたり断熱を入れ直したり、新しい用途に応じた意匠を施したり、什器を設置したりする中で、架構とそれ以外に分けて思考していることに気づく。そして、元の建物の施主や町の人々や伝統建築の保存に携わる役所の指針なども基本的にはその思考をベースにしている。

架構や街並み自体は個人の判断で壊したりしてはいけないある種の共有物という意識である。そして同時に、それ以外は社会状況の変化に応じて自由に変えてよいということもある程度は了解されている。

こう言った考え方をするのは、スケルトン・インフィルの分離の思考とは若干目的が異なる。スケルトン・インフィルは基本的には経済原理やテナントの交換可能性、機能の自由さを考えており、入れ替え時にはその痕跡はゼロに戻す、という価値観に基づいている。

それに対して架構自体が時間の経過を蓄積することを前提にしたら、設計は変わるだろう。大壁ではなく真壁とすれば、柱間で時代を映し取りつつ軸組は歳を取るように、様々な時間軸を一つの空間が備える面白さが生まれる。木造に限らず、そういうビルがもっと増えても良い。(リノベーションにおいてはRC造や鉄骨造でも躯体を現しにすることは目新しくはなくなったと言える)

この架構と設えの分離にスケールを導入すると、建築家が扱える事柄がもう少し増えるような気がしている。例えば、機能空間と象徴空間をグラデーショナルに共存させられないか、と言ったことである。

神戸のアトリエ付き住居(ツバメアーキテクツ/2019)では、1階に高さ4m、奥行き15mの架構を設定した。この空間を施主は家のように使うだけでなく、工房、撮影スタジオ、週に二回は荷物を梱包し発送する物流拠点、そして時に新作を顧客に直接伝えるミセのようにも使うというのである。

高さ4mにしたのは、施主が日々、土間空間に置くのは作業台やトルソーなど2メートル以下には確実に収まると考え、それらがどれほど散らかっても、上方に同じだけ、余白の空間を確保しようとしたためである。

架構は重量に逆らって立ち上がる。一方、家具や建具などは床側に置かれる。(もちろん吊るということもあるが基本的には空間の手が届く側に置かれることがほとんどだろう。)それに対し、人間も地面に立ち、頭の方に目がついてるために、上部の空いた空間と下部のモノに溢れる空間に二分される。

下部を機能的に考えるとともに、上部の余白を光が満たすような象徴空間として扱える。交換可能性やユニバーサルスペース的な思考というよりは、むしろその場所にとって印象深い、かけがえのない場所を作ろうという意思が働いている。

様々な要望を求められ、物が多い時代に、架構の設定自体はクライアントから求められることはほとんどない。

建築を建てることは当然施主のためではるが、せいぜい1年足らずの打ち合わせで、その後数十年の建築の想定を設計しきれるとは到底思えない。

架構の設定というのは敷地に定規を置くようなもので、その施主や建築家の関心だけでプロジェクトを完結させず想定を越えることを考えている。(当然、そのような態度がそれが施主や地域にとってもメリットと思ってるのでやっている。)

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慈光院(1663)photo by sandotakuto

軸組の中や外、境界面において、どのように事物や活動が現れるか、が建築の「表現」になればいいと思っている。近傍の環境やそのタイミングの社会の写し鏡になり、生きられた空間になる。

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BONUS TRACK(ツバメアーキテクツ/2020) photo:morinakayasuaki

単に軸組を置けば良いかというとそうでもない。伝統エリアの建築の改修で四苦八苦した学びから、設計者が建築の手の加えやすさを予め仕込んで置けば、100年後に改修する時に周辺よりも少し先にその瞬間の時代性が発露するような建築になるのではないか、あるいはその敷地の環境が少し大袈裟に発露したり、その街を牽引するような場所になるといったことを考えている。BONUS TRACKで設定した、手の加えやすさのルールづくりなどは、また今度。

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