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不便益について

有益な建築やデザインを基本的には考えている。有益であるということを一言で表すのは難しいが、「便利」ということと「益」ということは必ずしも一致しないということが最近実感としてもわかってきた。

『不便益: 手間をかけるシステムのデザイン』(川上 浩司著/近代科学社)という本を見つけた。不便/便利という軸と、益/害という軸を設定すると、四象限できる。

・便利益(文字通り便利なことが有益であること)
・不便害(不便で害があること)
・便利害(便利であるが、ある側面で害があること)
・不便益(手間がかかる不便さはあっても、そのことによる益があること)

この4つ目の可能性について今考えたい。

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例えば、私自身、ハウスメーカーと商品化住宅を開発したり、ハウスメーカーとコラボレーションした経験がある。建てるときもカタログから素材を選んでいくような打ち合わせを経て出来てしまう仕組みがうまくデザインされていたり、素材はメンテナンスフリーが徹底的に追求されていたりする。私が開発に携わった商品化住宅も規模を3種類設定し、あと接道の方位を掛け算して12種類の基本プランを作成し、あとは買う人や営業担当がその中から選ぶだけという仕組みを作ったことがあった。こういう仕組み作りにアトリエ事務所が学ぶこともたくさんあるだろうと感心しながら業務に取り組んだ。

同時に、こういったあり方は、建物の作りをブラックボックス化してしまい、住民が自分で直したりしにくく、自由にカスタマイズをすることもままならないと感じた。実際に施主がこうしたい、と思っても、システム上、融通が効かずできないということがある。便利さが生み出してしまうある種の害、「便利害」という状態の例の一つを最近目の当たりにした。

もちろん戦後から高度経済成長期にかけて住宅供給をスピード感を持ってとり組まなければいけない時代においては、商品化住宅のシステムは「便利益」だったのだろう。しかしメンテナンスの時代においては住民が修理したりカスタマイズしたりすることに価値がシフトするならば、それがだんだん「便利害」になっていく。

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奈良井宿 2021 撮影:sandotakuto

長野県の奈良井宿という集落のあり方も不便益観点から非常に参考になる。江戸時代からの町家がひしめく現存の集落だ。上に書いた商品化住宅の真逆ともいうべきあり方で人々が長い時間をかけて自分たちの手で作ってきたエリアだ。仕事の関係で私自身定期的に通っているが、築200年くらいの木造町家が密集した集落であることから、寒さや火災のリスクなど切実さ(不便さ)とどう向き合うかというテーマで仕事に取り組む。住民の方の話を聞くと定期的な消火訓練などがあるそうだ。おそらくこの定期的に手間をかけ、連帯するということが、価値として非常に重要なのだろうと思う。普段から消火作業に慣れ親しむということだけではなく、例えば、いつも参加している人が参加しなくなったとしたら何かあったのだろうかと気づくだろうし、いろいろな生活の知恵の共有もあるだろう。手間がかかるということが社会構築にスライドし、ある種の益を重層的に生んでいるのだろうと感じる。移住者にとってはこの連帯が集落のことを知るための大事な入り口になる。

同時に便利害的な側面もある。街並み保存の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されていることからファサードを維持することに補助金が出る。(ある種の便利?)だが、気軽に勝手にファサードを直したり、変えてはいけない(もしかして害?)とも言える。ジレンマで、答えのない世界なので、不便益や便利害を考えるには非常に面白い対象だと言える。

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プロダクトデザインについても書いてみよう。

未来思考の架空の自動車のデザインなんかをよく目の当たりにする。ボディからボンネット、いろんな機能を持っていたりして、エレメントが全てシームレスなデザインでできていたりする。ちょっとでもぶつけたら修理できなさそうだなと。これも便利害の例。

一方、SIGMAのfpというカメラは面白い。最小限の機能しか持たず、ユーザーが自分で必要なエレメントを買い足してカスタマイズしていく。

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(https://www.sigma-global.com/jp/cameras/fp-series/ より)

3Dプリンターなどを駆使してオリジナルのパーツを販売する強者もいる。面白そうなので昨年から使ってみているが、ある意味非常に使いやすく「益」を感じた。(余計な機能が削ぎ落とされているのでフルサイズだが異常に小さく軽い、ユーザーがコストをかければ自分好みにしていけるプラットフォームやコミュニティがある等)、不便益的な価値観がうまく取り込まれた興味深いデザインだと感じた。

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「益」にも階層がある。こういったプロダクトが生まれたり、DIY住宅などが一般的にも知れ渡ってきているのは、手間をかけたり時間の経過を楽しむこと、まさに「不便益」としての価値を求める人々が増えてきているからだろう。

あるいは、不便がなんでもかんでも良いというわけではなく、関わる人々にとって踏み込んだ「益」のあり方が開拓されるようなときに不便さを連帯的に乗り越えていこうという意志が働くと、それが楽しさに置き換わったり、プラットフォームを生み出したりと社会構築的な「益」が生まれる。

これらが、足元からその地域へ幾重にも重ねることができれば、生きることの条件を人々が自ら決めていけるような建築や都市を作ることができるのではないかという予感がしている。






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