失敗しないので。/松村
日々、通信大学のよくできた授業内容とシステムに感心している。
退屈せずに最後まで集中できる。
効率もいいし、映像やコメントもとってもわかりやすい。なるほどー!と、好奇心を誘う。
この授業が世界中どこでも受けられるのは、スーパーすごい。とてもいい。
現役時代、よく居眠りしていたから、今の方がよく学んでいる気分。
現役時代の授業は、先生がよく怒ってたことを覚えているけど、授業内容はきれいさっぱり忘却の彼方。
そういや、あのいつも怒ってた先生(建築家の渡辺豊和先生です!!)めちゃめちゃで面白かったな。
ということが、通信大学にはない。
この完璧に構成された授業では、先生方の人間味がほとんど感じられない。
完璧すぎるやろ!と思わず突っ込みたくなる。この一流の先生方はかなり胡散臭い。
かっこよく編集され、ミスなく進む授業は、失敗なんてしないし、理不尽なところもない。
失敗が怖い今どきの若者にとっては、悪影響じゃないか?とさえ思う。
こっでギャースか言っても、誰も聞いてくれない。
他人とやりとりする煩わしさはないが、完璧なシステムの中で自分のミスがエラーとなって即、返ってくる。(単なるボタンの押し間違い)
なんとなく傷つく。
どんまい!って笑ってくたり、なんでやねん!って突っ込んでくれるシステムがいつか出来るかもしれない。
それより、システムの方が間違えて、あ、ごめんごめん、っていうとか?
通信大学の授業を受けながらそんなこと
を頭の片隅で思いました。
と思っていたら、ラボットには完璧じゃない、わざと失敗するようなシステムが組み込まれているらしい。なるほどぉ。
わざと失敗するのも面白いけど、それもやっぱり完璧。
予測不能な事は起こらない。
この完璧さへの違和感は何だろう?
授業から何となく感じる優生思想への懸念か?
それとも、できない自分の単なるひがみ?
ただただ、対面じゃないことで空虚さを感じているだけか?時代遅れなのかも?
これからも色んな所でAI化は進むだろうけど、人間がする、きっちりじゃないいい頃合い、もしくはハチャメチャなことはAIにはまだまだ奪われない。と思うのであります。完璧じゃないのが魅力的。そういうの、すごぉく大切だと思うんだけど。
ということで。
↓このたび、ぜんぜん完璧じゃない、展示会をします…是非お越しください。