フルリモート勤務が恐ろしいほど向いていなかった私。仕事に求めていたのは「居場所」だと分かった
コロナ禍で、通勤からフルリモート(完全在宅勤務)への切り替えがありました。
そして、「雑談」が存在しない職場というものを初めて体験しました。
私はもともと、職場ではひっそりと過ごすほうで、同僚とつるみたい、ランチも誰かと一緒でないと、という性格ではないです。
が、およそ「雑談」というものが皆無な状況では、一緒に働く人たちの人柄、様子(コンディション)、真意などが分からなさ過ぎて、(対面であってもそうなのに、なお一層)推測や憶測のもとにコミュニケーションをとるのが常になってしまい、休んでも取れないタイプの疲れがたまるようになりました。
そして、私はそのような働き方のもとでは「評価」が上がりにくいタイプだったようで、ますます参ってしまいました。
「通勤」が無いから楽なのか?と言えば、そうではなく。
私にとっては通勤が気分転換となり、読書時間であり、巷の最新情報を自然に、そしてランダムにキャッチできる場でもあったようです。
職場に行けば、気軽に情報交換や雑談ができる人がいたり、自分のデスクや自由に使える設備があったり、自分の存在と人格を受け止めてもらえる「居場所」として機能していたようです。
発話することがとても億劫になり、自分から人と交流することを避けるようになってしまっていました。
離職によって少しずつ、元気が出てきました。
就職活動を通して、「私ってどんな人だったっけ?」「何が出来るんだっけ?」と、いったん忘れ去りそうになったことを思い出し、自分を取り戻している感覚です。