知らないところで芽吹く
「えっ、このフォーマットを作った方なんでんですか?」
「えっ、このマニュアルを作った方なんですか?」
誰のためでもなく、自分のために、自己満足程度に作っていたフォーマットやマニュアルを、可愛らしい後輩に、とても褒めてもらった。
私、すごく使わせてもらっていて、何度もそのマニュアルを読んでるし、フォーマットも何十回も見ています、と。
この存在がどれだけ貴重であるか、と。どれだけ頼りにしているか、と。
可愛らしく大きく開かれた瞳から、きらきらの絵文字がこぼれ、空中に浮いて輝いているようだった。
自分がつくったものが、自分の知り得ないところで、誰かに使ってもらえていて、誰かの役に立っている。そのことが嬉しくて。
社会人になりたての頃、まだ何も分からない ひよっこの自分にとって、
自作のマニュアルは何より頼りになる存在だった。
尊敬する恩師から教えてもらったことを 忘れないうちにテキストにまとめ、
すぐに印刷して、A4ファイルに綴じ、いつでも手に取れる場所に保管していた。
足りないことがあれば、同じことを何度も聞かないように、と、すぐに追記した。
何かミスしてしまったときには、同じことを繰り返さないように、と、赤文字で、手書きで、吹き出しを入れた。
そうして出来上がったマニュアルを、退職時に 同期に譲り渡した。
同じだけ社歴を重ねた、たった一人の同期に託した。
その同期が、新入社員の指導係になったとき、私の作成したマニュアルを渡したらしい。そして、その後輩が、さらにその次の後輩に、と、引き継いでいるらしいのだ。もう、その事実が どれだけ嬉しいか。
自分が自分のために作ったマニュアルが、顔も知らない後輩の仕事に役立っているだなんて。
こんなふうに、気づかぬうちに蒔いた種が、自分の知り得ないところで芽吹いていたなんて。とても誇らしく、過去の自分を褒め称えた。
ーーー * ーーー
そして、本当は この段階で書き終えるはずたったのだが。
今日 取引先さんから言われて、ふと気づいたことがある。
ある案件で、取引先からお電話をいただいた。修正指示の確認だった。
必要事項をひと通り話し終えた後、ふと、相手から「この会社で、この部署で働かれて、長いんですか?」と訊かれた。
「指示の内容が的確で、だけど ただ修正指示が書かれているだけでなくて、良いところとかのコメントもあって、担当者想いで、すごい方だなぁって、社内のメンバーと話してまして。」と言われた。
転職してから あまり期間が経っていない私にとって、あまりに思いがけない質問だった。
じつは、あまり長くなくて、でもこういう経歴があって、と答えたら、
びっくりされつつも、でもだからこそですね、と納得されていた。
電話を切った後、頂いた言葉が嬉しすぎて、しばらく仕事も手につかず、
天井をながめて ぼーっとしてしまった。それくらい、嬉しい言葉だった。
そして、過去の自分が気付かぬうちに蒔いていた種が、働く環境を変えてもなお、自分のなかで芽吹いていたのだ、とハッとさせられた。
人のためにせよ、自分のためにせよ、種を蒔いたことに気づいていないということが、時を経て喜びを増幅させるコツなのかもしれない。
そしてそれは やっぱり、日々を一生懸命やっていくことでしか、その種は蒔くことができないのだなと思う。
種を蒔くというか、日常のなかで種がこぼれていく、というニュアンスが近いのかもしれない。
でも、未来の自分のために、芽がでるかどうかもわからないけど、
自分の意思で種を蒔くことも、していきたい。(例えば、Pythonとか。)
芽が出て、何年後・何十年後に花を咲かせることを祈って、水をやり続けることもしたい。(最近は自分に甘いですが。笑)
ちょうど昨日、若林さんのnoteが更新されて、
なんだかいろいろとタイミングなんだな、と感じている、いい夜です。