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母に囚われた人

「上手く結婚生活できなくてごめん。」

離婚の連絡を自分の母親にした元夫は、自身が鬱病であることも同時にカミングアウトして、そう最後に付け加えた。

私はその言葉を聞いて、「ああ、この人は自分の母親のために結婚していたのだ」と、腑に落ちた。

今まで、私のことなんて、見てなかったのかもしれない。
そう思うと、色々なことに合点がいった。
私は毛色のめずらしい犬のような存在で、元夫が親に自慢するための、そして自分の兄と対抗するための存在だったのだと。

元夫は、裕福な家庭に育ったが、常に兄や世間と比べられ、否定されてきた。
そんな中、世界の戦争や悲しみのニュースを見て胸を痛めたり、芸術の美しさに喜びを見出したしたり、どうしてこんなに優しいのかと思う純粋さがあった。
きっと、虐げられながらも、小さな自己の灯をなんとか守ってきたのだと思う。

だから、結婚のすべてが嘘だったとは思えない。その中にも、本当の気持ちや愛もあったと思う。

でも、それを上回る、大きな呪いが本人を無意識に動かしていたように思う。

いつまでたっても、母の評価を気にする小さな子供。
本人の優しさも仇になって、自ら鎖をほどこうとしない。
母親はそのことも、分かっていてコントロールしていたのだろう。

元夫のメンタルが明らかに不安定になったのは、子供が生まれてからだった。
元夫は子育てをするというより、一緒に子供になって遊んでいた。
子供を守る存在になるという意識より、自分が子供のままでいたいという意識が強く、親になりきれなかったように見えた。

どうやって育てていこうかと相談しても、「子供は、ほっておけば育つ」そう言って、話し合いにならなかった。

表向きは育児に協力的な父親を演じるのに、実際は非協力的な元夫に、私は混乱し疲弊していった。
今思うと、母から良い子供として評価されたい人が、親になろうとしないのは、「…まあ、そうなるよね。」と納得できてしまう。

かといって、あの時、私に心の痛みを与えたことを許すわけではないが。

元夫は、2人目の子供が生まれて、自分のキャパに限界が来たのだろう、まもなく鬱病になった。
私は、鬱病をなんとか良くなるようにと努力をしたが、どうにもならなかった。
今振り返ると、結婚も子供も、親の評価を気にした上での選択だとしたら、その枠の中にとりこまれている私や子供では、元夫を救いようがなかったのだとあきらめがつく。

また、元夫は鬱病になった時、どんなに自分の体調が悪くても、実の親に連絡するのだけは拒んだ。
母から不の烙印を押されるのが、目に見えていたから。

実際、冒頭の離婚と鬱病であることの報告をした時の返答は「養育費は?」という乾いたものだった。
息子の体調を心配する言葉はなく、私からみても気の毒だった。

さすがにもう親と縁を切るだろうと、私は予想したのだが、
元夫は、なんと離婚後に実家に戻って、しばらく両親と一緒にいたようなのだ。

そこまで闇が深いとは、思っていなかった。

いったい、母の呪いは、どうやったら解けるのか。


私は、親子の関係が怖い。
子供には、私から自由であって欲しいと願っている。
その願いと共に、無意識に呪いをかけてないか、ひやりとする気持ちが胸に沈んでいる。


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花岡燕
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