さかのぼる心
私は記憶を20年分、心の箱にしまった。
それはPTSDの治療の一環で、不可抗力だった。
私は離婚した後、夫の亡霊をよく見た。
だが、夫は生きているので、本物の亡霊というには正確には違う。
なんというか、過去の記憶やイメージが亡霊のように現実に重なって現れるのだ。
たとえば、窓の外。
離婚後に引っ越したマンションは、窓から小さい道路が見える。
道路の向い側には、新築の白い一軒家に並んで古い日本家屋や、砂利の引いてある駐車場があって、その向こうには小川が流れている。平和なでのどかな田舎の風景が広がっている。
私は、その道路に夫がポツンと立って、こちらをうらめしそうに見上げているような気がしてならなくなるのだ。
体験したわけでもないのに、イメージがこびりついて窓の外を見るのが怖かった。
その他にも、部屋が散らかっている時、子供が約束を破った時など、夫の亡霊が現れ、私を非難したり、恐怖に染めたりした。
困って精神科に行ったところPTSDとの診断を受けた。治療の内容は、記憶を自分から切り離して、別の場所に置くという。
半信半疑で治療を受けたが、効果はてきめんだった。
結果的に、私の場合、大学から離婚までの20年分の時間を一旦、自分から切り離した。
(元夫とは、大学で知り合った。だから、離婚の辛い記憶を切り離そうとすると、大学生の頃も含まれてしまったのだ。)
治療を終えて、本当に不思議なのだけれど、記憶にすっぽりと空間があいた。
理性では理解できないけれど、感覚として、そんな気持ちになった。
20年分差し引かれて、20歳になった気分だ。体は40歳なのに。笑える。
私は、とても珍妙な気持ちになった。
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治療を終えて、帰路についていると、今度は「心」に違和感を感じた。
なんだかいつもと違う。
心に形がなくて液体のように思えた、さなぎの中身ような気持ち。
ドロドロにとけている。なにも形になってない。今、心を攻撃されたら防御力が0だ。
私は、なるべく人と関わらないようにすごした。
その頃に初対面の人に話しかけられて、びっくりして泣いてしまったことがある。涙がでそうになったので、とっさにその場を逃げて、物陰でじんわりと涙を流した。
赤ちゃんが、知らない人に声をかけられて泣くのは、こういう気持ちなんだと思った。
半年ほどたって、小学生の自分の子供と話している時に、妙に馬があうなと思った。友達と話しているような。そんな気持ちになる。
この頃の、心は、ふわふわして綿あめみたいな形状。
自己イメージが小学生になっていた。鏡を見ると、元に戻るのだけれど、ふわっと自分を認識している時には、子供のようなのだ。
しばらくすると高校生としゃべっていると同世代といるだなと、感じるようになり、どうやら自己イメージは成長しているようだと分かった。
数か月して、自己イメージは大学生くらいまでに成長していた。この頃になると、心もだいぶしっかり形があるように思えた。
粘土くらいの硬さで、まあまあ、安定している。
私は、キャリアに悩んでいたのだが、ふと、「誰も私を拘束する人がいない。あれもこれもできるじゃないか!」と、自由な気持ちを感じた。
まるで、健全な青年期のようだ。
そして、現在、ずれていた自己イメージは、ぴったりと現実の私に重なっている。
心は、落ち着いたのかと思ったが、どうやら反抗期のようだ。
最近は、母親に反発している。私は今まで生きていて、母に対する反抗期はなかった。はじめての母への嫌悪。
「やれやれ、はやく反抗期すぎてくれないかな」と、最近は自分の心に、突っ込みをいれている。
治療を終えて2年。記憶をリセットしたら、心もリセットをし始めた。
防御力0の赤ちゃんの心から、思春期まで成長した。
まるで心が、生きなおしているようだ。
そんなこともあるんだ。
この出来事の初めから終わりまで、現実的には、病院に行ってお医者さんと話した以外は、何も特別なことは起こってない。
だけど内面では、昆虫の変態ように、自分の形が丸ごと変わるような様々な変化があった。
人生は、直線には進まない。
Uターンなのか、リセットなのか。
思いもよらないユニークな人生のルート変更に、苦笑いしながらも、今後の成長が楽しみな自分がいる。