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週末の夜鳴きそば
今年はよく金曜に雨が降る。
木曜の夜に、明日は仕事だな、なんて考えながらソファでネイルを整えていると、背後の窓からは小鳥のおしゃべりのような、ぴちゃびちゃと水の跳ねる音が聴こえ始める。金曜の朝は必ず、傘がいる。
職場は家から"かろうじて最寄り"の駅から14駅も先で、自宅からも、生まれた場所からも私は遠く運ばれる。実家にはもう31年も帰っていない。母がどうしているのか知らないし、父とは連絡を取らなくなって2,3年経つので元気なのかどうかもわからない。遠く離れた生まれた場所を思う時、私はだいたい熱がある。今年は気まぐれに、熱もよく出る。
家族がまだ幸せだった頃、私がまだまだ幼かった頃。
父は会社員で、母は昼間にママさんバレーを楽しむような、極めて一般的なよくある普通の、よくある家族だった。よそと少し違ったのは、父と母よりも上の世代が築いた人生のおかげで、少しだけ裕福な二人だったということくらいだ。
母は私にぎゅうぎゅうに教育を押し付けたけれど、父は遊び心のある人間で(遊び心しかない人間だった、とは大人になってから知る--)
私が退屈そうにしていると、どこにでも連れ出してくれた。家で勉強もさせないで!と母は怒ってばかりいたけれど、逃げ込んだ車の中で、父が母を
「勉強勉強ってうるせぇやっちゃな。あいつは昔っからあぁいうとこがあるから、しんどいよなぁ。」
とうんざりしたように口にして味方をしてくれる事で、少しだけ救われた。
ゆるく走らせる車の中ではラジオからH2Oがかかっていて、勉強くらいできないと大人になれないんだからね!と目くじら立てている母の声とは裏腹に、恋だけをして大人の階段をのぼっている人もいるんだなぁ……と思って息を吸っては吐く、を繰り返す。私は大人にならないでいい。机が嫌いだ。
車の中で、父が急に
「お父さん、土曜の夜、出かけてくだろ?なんでか知ってる?今度一緒に行くか?」
と聞いた。
行先がどこなのかはわからないけれど、夜のおでかけは心が逸った。父には風変りな友人が多かったので、なんとなく、子どもの行ってもよい場所とは言い難いのではないか……と若干ソワソワしたものの、好奇心旺盛な子どもにとっては逆に、そうした刺激的な響きはわくわくもした。
ある日の土曜の夜、父が仕事から戻り、"先日の計画は今夜決行する"という!母には内緒でこっそりと家を出るから、服の上からパジャマを着ておくように、と指示された。現場では、父の友達のエルちゃんと三角おじさんと速水も待っている、との事だった。
エルちゃんと三角おじさんと速水についてはいつか話すけど、エルちゃんは、大柄のガッツ石松似のオトコオンナで(昭和の時代にはこういう呼び方をした。いまでいうなかなかパンチのきいた男の娘)、三角おじさんは形容し難いが……とにかく三角形な人。速水は、のちに女性の前で尻を出し現行犯逮捕された。あの尻出し野郎が速水だったと知ったのは随分と大人になってからの事だ。彼らの話は、また、いつか。
世の中にはいろんな大人がいる。エルちゃんはどう見てもハロウィンの仮想パーティみたいなお化粧だったけれど、いつもひらひらの服を着て、とても可愛らしい仕草で、会うと私の髪をすぐ三つ編みにしたがった。母は彼らと私が会うのを教育上宜しくないと言ったけれど、私は机にかじりついた勉強よりも学べた事が多かったと、いまでも思っている。おかげ様で、どんな方に出くわしても、偏見がない。ただみんな、自分たちが生きたいように生きているだけだ。
"夜に出かける!しかもこっそり!おばけも逃げていくようなメンバーも揃ってる!"私はわくわくがとまらなかった。母は必ず23時には布団に入る。動くとすれば、23時以降になる。
被った布団の上から父に揺さぶられ、パジャマのまま、開けるとカラカラカララと音がする引き戸を体が通るギリギリの幅だけそっとあける。いつもは家の駐車場にとまっているはずの車は、エンジン音で母に気づかれると厄介だから、と少し離れた場所に停められていた。用意が周到で、父はいつもこうして出かけているのだな、と知った。たまには大人っぽい対策もする、ずる賢さのある父であった。
車を走らせて駅前を抜け、少し行くと水道局のそばに銅像の立つロータリーがある。夜は車も少ないので、車に乗るのが好きな私のために、ロータリーを無駄に一周してくれた。子どもにとって夜は22時を過ぎるともう深夜で、23時なんかをまわると、もう街は見た事のないような顔をしている。信号機も点滅を繰り返し、とても新鮮な景色だった。
銅像のロータリーをぐるぐる回り、放射状に延びる道のひとつに入って進んでいくと小さな神社が見えてきて、砂利の敷かれた駐車スペースに父は車を停めた。もしも空から、誰かが私たちを見ていたら、ピンボールの台でボールがくるくると遠心力で回り続けて、スポンと吸い込まれていくように見えていたのかも。
夜の神社の参道は木が覆いかぶさるように並木に揃い、静まりかえって不気味な気配のはず……が、まっすぐ進んで右手奥には赤く灯るぼんぼりが木の葉の間からちらりちらりと見えて、近づくたび、人の気配がし始める。
開けた境内に出ると、既に数人が腰かけている屋台が姿を現し、大きな寸胴鍋からは湯気が立ち、吊り下げられた裸電球の黄色が、使い込まれた鍋肌を照らした。髪を手ぬぐいで纏めたおばあちゃんが
「あら珍しい!子どもさんなんか連れて!先に来たお友達、あっちの階段のとこにいるから、そっちでいい?なんだよなんだよ~、子どもさんもくるなら、席とっといたのに」
と言いながら、手水に使うには大きすぎるアルミ柄杓を持ったまま、あっちの階段らしい場所を指した。父はヘラヘラと笑いながら、気ぃ遣わないで!と慣れた素振りで歩いていった。
"あっちの階段"に着くと、先に来ていたエルちゃんと三角が座っていて、速水は別の事で今日は来ないという事を告げながら、エルちゃんは私をみると
「パジャマやぁあん!いいなぁ、ポッケついてる!」
と私を隣に座らせた。パジャマを脱ぐのを忘れてた。石段に座るとパジャマのお尻が汚れてお母さんにばれるから脱いでから座るように、と無駄な威厳の父。三角は何も言わず、ずっとニヤニヤした三角だった。
早々にパジャマから服になり、エルちゃんの隣に座ると
「うちら学生ん時からここで集まってんだけど、お父さん、結婚してからあんまり来なくなってて。解禁になったのようやく最近なんだけど、ここのラーメン、すっごいおいしいのね。多分、びっくりすると思う。学生時代からの自慢の味。あんまり誰にも教えたくない味。」
と言いながら、ラーメンを待っている間、いつものように私の髪を編み始めた。エルちゃんは、もし自分に子どもがいたら愛されるお母さんになりたいのだと言っていた。どこをどうとっても、エルちゃんはガッツ似で、愛されるお父さんにはなれそうだけど、お母さんはちょっと無理かなぁ、と思う。その化粧では、子どももきっと、泣く。
エルちゃんと父が、最近の仕事の話や、新しく買った物の話をしている間、少し先に見える屋台の裏側を眺めた。三角も黙って眺めていた。三角には口がついていないんだろう。本当に、いつ会っても、何も話さず、ただいるだけ。
屋台を裏側から眺めるなんて事があまりなかったので、興味深くじっと見ている私にエルちゃんが気づき、そばに積まれた木の薄い箱には麺が入っていて、や、あそこのポリタンクは水が入っていて、や、麺はおじちゃんが手打ちしてるからスープか麺がなくなったら屋台は終了だ、と解説してくれるのを聞きながら、社会見学と夢を同時に経験するような気分で、自分がいるはずのない時間にぼんやりと照らす赤い提灯が、一層、夜の気配の特別感を魅せてくれた。エルちゃんに結われていく髪の、たまに引っ張られる頭皮が痛くて、これは現実ですよ、を教えてくれる。
少しすると、給食のご飯が入った四角い飯缶の蓋のような、べこべこにあちこちが凹んでいる傷だらけの薄い薄い大トレーにラーメン鉢を四つ載せて、ヨチヨチと進んでくる影が見える。父が駆け寄りそれを受け取ると、屋台のおばあちゃんが私と話したかったようで、小さいとりわけ用の器と、後で飲もうと思って置いといたジュースがあったから、とファンタグレープをくれた。お礼を言うと
「あんたらやっぱり親子だねぇ。お父さんのありがとう!の声も、学校時分から大きいわ」
と笑った。挨拶だけはしっかりしろ、と育っている。
あつあつのラーメンはあっさりとこってりの丁度いい中間で、細かいネギがたっぷりのっていて、スープの表面は透き通り、下に行くほど色づいていて、丸いわっかを描いたアブラが可愛く行ったり来たりした。
口をつける前にエルちゃんが
「あんたのお父さん、なんでお盆を取りに行ったか知ってる?ここのラーメンすっごいおいしいんだけど、お父さん、潔癖でしょ?おばちゃんの指が汁につかるの、嫌がんのよ。みてて。マイ箸だすから。」
横目で見ていると、エルちゃんが言ったとおり、父は自分の荷物から、箸と、なんと、蓮華を取り出した!!あんな事で家で奥さんと喧嘩にならないのか、とエルちゃんは私に聞いたけど、母は父に対しては諦めている気配もあったので、家では放っておかれています、と答えると、大爆笑した。
エルちゃんは父のなんでもを知っている。うちの母よりも父の事をよく知っていたかもしれない。昔、恋人同士だったのかもしれない。
延びる前にさっさと食べろ、コショウは多めがうまいぞ、とハフハフとすすり始めている父と、小さい器に取り分けてくれるエルちゃんたちと、石段に並んで、お行儀悪く外でご飯を食べる。母がいたら絶対に許さないだろう。
「……やっぱり、おいしい。」
と消え入りそうな声で、三角が言った。それに驚いて私が、つい
「三角、話せるの!?」
と言ったら、父がむせて、エルちゃんがびっくりするほど笑った。確かに、三角が思わず言葉を漏らすほど、スープは熱々で、チャーシューも薄くて口あたりがよく、舌の上でとろけるように美味しかった。
それからは度々、父に深夜のラーメンをおねだりをして連れて行ってもらった。私もマイ箸が欲しい、というと、ラーメンは割りばしで食った方がうまい、お前は通じゃない等と、割りばしで食わないオッサンに偉そうに説き伏せられた。マイ箸はもてないままだったけど、現場では初日には会えなかった速水にたまに会う事もあった。三角はいつ会っても話もしなかったけど、話もしないのに家に遊びに来ては母に気味悪がられるという事を繰り返し、エルちゃんは私にあってもあまり私の髪に触れなくなった。
理由は簡単で、朝から晩まで勉強や習い事をさせられていたので、ストレスで一部、円形が出来ていると、父が伝えたようだった。ハゲていても、よいお母さん役はさせてあげたかったのに。残念だった。
ところで、中でも速水にはやはり滅多に会う事はなかったけど、あいつの忙しい、は尻を出すのに忙しかったんだろうか。いつか会う事があったら、どんな気持ちなのか尋ねてみたい。
学年もあがり、一度だけ熱が引かずにいた時、父が何か食べたいものはあるかと聞いた事があり、あのラーメンが食べたいと言った事がある。生まれた頃には保育器にいたので、もともと体がしっかりしたタイプではなかったから、一度熱を出すとなかなか引かず、何日も学校を休む事になった。
死ぬ前に食べさせてやりたいので連れて行く、という父に、また大げさな、とため息をつく母と、夜中にこっそり子どもを連れ出していたなんて!が始まり、じゃあお前も来い!と半ばキレ気味の父と、呆れかえる母と、高熱でうなされている私との三人でラーメンを食べに行く事になり、現場に着くと母は信じられないほどおいしいと感想を述べ、次には、これを二人でこっそり楽しんでいたとは……と、またも、地獄のお小言を始めた。私は後ろの席で、少しだけ口にして、その後、入院した。
色々があって大人になる過程、あの時の幸せだった家族は離散に追い込まれ、私は一時的に母方に籍を置いたものの、母方の祖父母の"命のあるうちによそで生きた方がよい"との助言もあり、あの家を後にしたので、今ではすべてがよい思い出である。
世はいつも諸行無常、変わらないものなどこの世には存在しない。一時でも愛された事が現実にあったのだとしたら、何もそこにとってつけたような解釈を持つ必要もなく、そういう頃もあったから有難いな、と思うだけだ。よい思い出はよいままで、そのままで。誰かの優しさを受け止める時、その意味なんて考えなくても、ただそこにあった、それだけでいい。
大人になっても、熱があるならおかゆだろ、ゼリーだろ、なんて物より、今でもラーメンが食べたくなる。欲を言えばあのラーメンが良いのだが、もうあのラーメンを作っていたおじいちゃんもおばあちゃんも他界なさっているはずだ。石段から伝わるひんやりしたお尻の感覚と、持っていられないくらいに熱い器の感覚。視界がぼんやりとしている時、それはあの屋台の提灯のようなやんわりとゆるい情緒の陰が心に伸びる。大人でも、やっぱり、体がしっかりしない時には、心細さを感じるものである。
また今週末はそのまま雨が続くだろう。最近の私の熱はすぐに引く。
少し寒くなってきた秋の夜、旦那様を誘って、傘をさし、夕食はラーメンにでもしよう。新しい家族と、新しい場所で、私は生きている。
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