砂の城
老朽化のすすんだ茶色いビル。再開発の対象に入っていて、近々取り壊されるらしい。最近の私の職場だ。そこは友人の職場でもある。友人は、長くその土地で開業なさった医師の膝元にあり、現在、人手不足のために友人以外の助手もおらず、入っても続かずで困り果てていた。だから私が週に数回、お手伝いに身を寄せている。私自身は年初めに働き過ぎて体を壊したので、今年の残りはあまり無理をしない方向で、としていたのだが、そう遊んでばかりもおれず、パート感覚で働きに出る事にした。
本来、仕事というものは、とても緊張して面接を受け合否を受け取り、さぁ明日から仕事をするぞ!という心構えのもと始まるように思うが、今回は、友達に呼ばれてきました、と友人宅に遊びに行った状態から始まり、あ、きたの!?白衣のサイズ選んで?のような状態からそのまま転がり込んで可愛がって頂いている、といった感じだ。お時給は安いものの、1円でもあれば困らないのでそんなにも欲を出さず、新しい事を色々と学べる場として楽しんでいる。
地方の方にしてみると、観光で訪れるような場所の東京はごみごみとしていて喧しく、住めたものではない、と思うのだろうが、栄えている場所の近くは全てベッドタウンのようなもので緑も多く、用事がなければ一生下りる事はないだろうな、と思うような駅も沢山ある。仕事先はまさにそれに該当した"何かがなければ行くことのないような駅"にあり、全く知らない街を少しずつ知れる事も楽しみのひとつとなった。
比較的落ち着いた(と、言ってよいのか、閑散とした雰囲気のある)その街の茶色のビルは、美しい床材や自動ドアなんて物もついていない、ただのレンガ造りの古ぼけたお爺さんビルで、それでも立地は駅前に近く、多くの店が幾つも軒を連ねている。昔はこのビルも栄えたのだろうな、という印象。
医院のあるフロアは、教室関係が多く、少し離れた奥側にはbarがあったりもする。医療関係という職種な事もあり、患者さんに使用した器具の消毒や座面消毒、スリッパの滅菌……と次から次にする事は沢山あり、仕事の中でも一番に衛生面を気にかけてはいるが、残念な事に、手洗いが合同である。各店舗が合同で使う、ビルの一角に施されたデパート型の、よくあるアレだ。かろうじて洋式のその手洗いは、ビルの管理者、もしくは契約清掃業者によって行われる。
昼過ぎの出勤時にはまだ奥にあるbarも閉まっている事も多く、代わりに稼働しているのは、料理教室と進学塾と、うちだ。学校が終わる頃の時間帯は学生たちで溢れかえる。料理教室は早めに閉まってしまうので、五時を過ぎた頃の手洗いは、制服の女子と白衣の私達が使用する。その、手洗いが、いつも、驚く程、汚いのだ。
女性専用の手洗いだとは思えない、嵐の後の砂浜のような有様で、いつも入るのに躊躇する。何をどう使えばそんな事になるのか、や、あそこはいつ誰が清掃しているのか、が、度々話題となる。残念な事に私達の医院のあるフロアは極めて女性らしい、か、品行方正な、といった向きの店舗しか入っていないのに、それなのだ。医療関係者同士の面白いところは、一般的なマナーや礼儀や節度以前に、命のあるものとして、が思考の第一前提となる。だから、口を揃えての根本的な話題となるのは、勉強よりももっと大切な事について、だ。
ある日にはこんな事もあった。
トイレに備え付けの汚物入れが、100均でよく見かける、蓋がくるくる回転するようなゴミ箱タイプの物で、それが各個室の足元に置いてあるのだが、酷い日などは使用後のナプキンがそのごみ箱の蓋に、使用面を上にして張り付けてあり、寂しくくるくると回っていた。たまたま器具清掃をした後、手袋をはめたまま立ち寄った時に見つけたので、それを引っぺがして、トイレットペーパーに包んで捨てた。途中で千切れた細切れのペーパーは床におちたままになっているし、ぐしゃぐしゃに丸まった鼻をかんだ後のようなトイレットペーパーもいつも、蓋から下に落ちないまま、上に上にと重なり合って山積みになっている。それからたまに、二戸ある内の一つのドアが閉まっていて、お化けのようなすすり泣きがする時もある。
「ぉぅ……今日も花子がいるのか。。勉強熱心だな。こんなとこで泣いてないで、パァっと遊園地でも行ってくればいいのに」
等を考えつつ、用を済ませて、仕事に戻る。
心が荒んでいたり思うように事が運ばない時、どっちでもいいな、と投げやりになって、部屋の中がぐちゃぐちゃで過ごす事はよくある事だけれど、彼女たちには彼女たちなりの、言葉に出来ない苦しみや葛藤、悩み等もあるのだろうな、と思いつつ、同じ現場を使用する。選択性緘黙のような状態で、本来であれば、家でその姿を見せて外では見せない、であるのならば、家族は気づけて有り難いが、外ではそうするのに家では良い子で過ごす、という事が現代の当たり前になりつつあるのかもしれないな、と、どこかで少し感じている。だって、家のトイレがあんなディストピアな局面を迎えていたら、私なら心配するもの。。もしかすると何かあっても、自分から言い出さないから問題はない、とされている子も多いのかもしれない。人の心のわだかまりというのは何かしら過ごし方やその行動にも出る物で、なにかきっと、色々がストレスなんだよね、可哀想に、お疲れ様です!と思うようにしている。そうでなければ、他人の使用後の生理用品の始末など、できない。
ああした状態をみると、お行儀だとかマナーだとかそんなのどうだっていいから、苦しいや辛いにきちんと向き合ってあげて欲しいな、と、思うばかりだ。子供は子供にみえて、子供同士の世界もあるし、その中で勉強もしなければならないし、親に叱られないように、大人に見つからないように、いっぱいいっぱいなんだろうね😢あなた方の微妙な変化を見落とさず、受け入れてくれる場所があるといい。
色々を詰め込んだ老朽化のすすむあのビルは、きっと私より多くの事を知っているのだろうけど、物言わず、それらを抱え込んだまま、いずれ取り壊される。
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