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気付かぬうちに「反応して生きている人」になっていないか
最近お気に入りのpodcastがある。ジェーンスーさんと桜林直子さんの「隣の雑談」である。
このpodcastでよく語られるテーマとして、自己を中心とした意思決定の大事さが挙げられる。幼い頃の生育環境や周囲の人間関係によって、無意識のうちに「周囲の期待に応えること」=「自分の意思」であると考えてしまい、本来の自分の意思を見失っている人は現代社会に多いと思う。そんな中で、自分本位の欲望や希望を拾い上げるのが大事であるということが頻繁に語られる。
昨日アップロードされたpodcastの中で、「反応して生きている人」の話がされていた。近況を話す際に、「自分が~した」ではなく、「誰々に~されて、どう感じた」という内容の話ばかりをする人が気になるとい話題がメイントピックとして語られ、それって結局自分の意思で動けていないのでは?という話がされていた。
確かにそういう人っているかもしれない。なんなら、自分自身も会社の愚痴とかを話す時はそんなトーンで話してしまっているかもしれない。でもそれって結局自分本意の意思や行動が無くて、反応しているだけなんだなと気づかされた。
自分の意思ややりたいことがないから、能動的なアクションが取れない。結局は降ってくる仕事をこなして、仕事の内容や、アウトプットに対する上司や同僚からの評価に一喜一憂してしまう訳だ。だから、「誰々に~されて、どう感じた」という話しかできない。
もちろん、自分のプライベートのことを話す時はもっと能動的な話ができているはずである。週末にどこに行ってどう感じた、とか、こういうことをやりたいと思っている、とか。
やっぱり、与えられた仕事をただただ受動的にこなすのではなくて、能動的に取り組める仕事に就きたいと感じた。昔は、「好きなこと」や「興味のあること」を仕事でやろうとするなんて現実的ではない、ニーズがあり成長している市場で与えられた仕事をこなすのが「最適解」なんだと考えていた。
でもそうではないのだ。本当に自分が興味のある仕事をしないと反応しかできなくなってしまう。自分はもっと仕事も能動的に行いたい。そんなことを考えさせられた放送だった。