「女性活躍」にうんざりしているあなたへ 〜わたしの夫の話〜
突然ですが、あなたはこんなことを思っていませんか。
今日は、そんなあなたにむけてお手紙をしたためました。
今日もジェントルマンなあなたへ
あなたは、周囲の女性たちが幸せそうに見えるのでしょう。あなたもきっと、幸せな方なのでしょう。なぜなら「女性は子どもを産み育てれば、賃金労働をしなくてもよい」という世間の価値観を体現できているからです。
でも、その価値観の影には、
・女性”なのに”子どもを産まない人への非難
・女性を家庭内労働に”専念させられない”低所得男性への蔑視
・子どもを産んだ女性が働こうとすることへの社会の不関与
があります(*3)。女性たちの本音は「転勤族の夫についていくと仕事なんてとてもできない!」が現実なのではないでしょうか。
すでに共働き率は68%(2020年、*4)。
これからの時代は、「子育てを家庭に丸投げするのはやめますので、子どもの有無に関係なく働ける人は働きましょう」というほうが、所得格差の問題も含めて、より公平な社会を目指せると思いませんか。
クオーター制の是非
あなたはこう続けるかもしれません。
「数を合わせないといけないから、能力の低い女性を引き上げるというのは差別ではないの?」と。
どきり。わたしは「政治の世界に女性が足りないから」この仕事をしています。いわば、数合わせのための「椅子」です。
なぜ、政治の世界に女性が少ないのでしょうか。それは、永田町の価値観が、男性(特に、専業主婦を志向する父権主義的な一握りの男性, *5)中心だからです。有権者の半分は女性なのに、不公平だと思いませんか。わたしが、この「椅子」(というよりは「針の筵」)にかろうじて耐えられるのは、「その努力が自分のためだけじゃないから」の一言につきます。
経済界でも、”男女数合わせに見える”「椅子」が増えています。男性である自分の椅子が減るのではないか。その本能的な不安感は当然でしょう。
出世しなくても、クビになっても、だいじょうぶ
さて、ここからは私の個人的な話をしましょうか。
私は20代前半で同年代の夫と結婚しました。子供のいない20代のうちは、正直夫に出世を期待していました。「お仕事がんばってね」とニコニコしながら、出世欲のない夫にヤキモキしていました。仕事で失敗した夫を慰めながら、内心不安になったりしていました。夫にとってはプレッシャーだったかもしれません。
それでも30代になると、「ありのままの夫」を受け入れられるようになったのです。出世しなくても、クビになっても、家族として一緒にサバイブしよう。それは、周囲との比較欲がなくなったと同時に、自分自身の経済力という自信がついたからだったと思います。朝「仕事がつらい」という夫に、「いいよ、1年くらいなら休んでも」と何回か言ったことがあります。本音なのに伝わりませんでしたけど。
男性が「仕事がつらい」と言ったとき、
「子どもを産んだからあなたほど稼げない。困るからやめて」がいいですか。
「いいよ、1年くらいなら休んでも」がいいですか。
今、ほとんどの男性は「仕事がつらい」なんて言えてもないんじゃないかな、と思います。
「”男だから”仕事で評価されて高収入を得なければならない」という男性の思い込みは、周囲の女性を不幸にします。ひいては社会全体を不幸にします。「”はじめのうちは”能力が見劣りしようが、数合わせだろうが、男女の経済的地位を等しくする」という姿勢の意味を、ねじ曲げて受け取らないでいただきたいな、と心から思います。
ちなみに、夫の名誉のために言っておくと、さりげない気配りでドアを開けてくれるレディファーストな仕草に惚れて夫と結婚しました。文化としての”男らしさ”を大切にしたいということでしたら、半径5mの範囲で実現してくださいね。
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「男女の経済的地位が等しくなりゆく社会で、パートナーと幸せな関係を築くこと」は、わたしたちの新しい挑戦になるでしょう。「”なんとなく”この仕事をする」から、周囲との摩擦や葛藤を経て「”他ならぬわたしだから”この仕事をする」に至る過程が、混沌とした社会で「自分の居場所を見つける」ということなのかもしれません(*6)。わたし自身、正直むずかしいなあと途方に暮れているところです。
わたし一人ではとても手に負えないので、どうか一緒に考えていただけないでしょうか。
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