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置き去りにされた記録 第2章②〜私のトラウマ・夫の暴力〜
平成15年10月、夫はアルコール依存症と診断され3ヶ月入院する。
「アルコール依存症?」「病気??」 「そんな病気あるの???」
なんだかよくわからないけど3ヶ月いないんだと思ったらホッとした。
私はもう疲れ果てていた。
ホッとしたのもつかの間、私にはやることがたくさんあった。
お店のことだ。
今の私の状態ではやっていけないと思った。
もう私はボロボロ。
今思うとひどいうつ状態だった。
気力はないし、毎日胃が痛くてうずくまっていないといられないくらいで、吐き気やめまいもひどかった。
普通の人なら立ってられないほどだと思う。
精神科に行って薬をもらったけどちっとも効かなかった。
なにをどう考えたらいいのかわからずいっぱいいっぱいだった。
その時友人に相談をした。そしたら「3ヶ月休んでもやっていける蓄えがあったら休んだ方がいいし、でもないならやるしかないんじゃない」
その通りだと思った。
私はこんなに具合が悪いし、それに夫の尻拭いを私がする必要はない。でも住宅ローンもあるし、従業員さんもいるし、お店は休んでいても経費はかかるし
どうしよう、、、、、
とりあえず1週間休んで考えた。
その時友人が「そんなに深く考えなくてもいいんじゃない。やれることやって、できないことが出てきたらその時また考えれば」
そう言われて少し気が楽になった。
私はずっと「商売人の女房なんだからお店を一番に考えないと」と思ってきた。だからがんばらなきゃいけないと思った。
従業員さんに支えてもらって、できる範囲でお店をやることにした。
大変でしたがでも私にとって“逃げなくてもいい毎日”というのはホッとすることができた。
夫の退院が決まり、私はとてもがんばったし、夫もこれで改心するだろうと思っていたけど、甘かった。
私はアルコール依存症についていろいろと本を読んだ。
家族教室にも通った。
アルコール依存症を理解したいと思った。
でも、あれこれ手出しをする私に問題があったことを突きつけられた。
“こんなにがんばっているのに私が悪かったの???”
自分がやってきたことを全否定されたようでショックだった。
そしてさらにがんばった。
言われることはわかる。でもそう簡単に自分の心と行動は変えられない。
また苦しくなった。
“夫の飲酒問題には関わらない”
“問題から手を放す”
家族教室に行くと必ず言われる。
頭ではわかるけど納得できない。
夫の飲酒問題に関わらないって、なにをしても放っておけっていうこと!?
そんなことをしたらどうなるかわからない
お金だっていくら使うかわからない
私が注意をしなかったらもっと飲みすぎてしまう
店もあるし、住宅ローンもあるし、私がなんとかしなかったらみんなに迷惑がかかる!
それに私が一番困る!!
最初はすごく抵抗があったけどがんばってみた。
でもこんなに私は一生懸命がんばっているのに、夫は退院して1ヶ月もしないで再飲酒が始まり入院する前よりも飲酒行動はひどくなった。
しらふでも暴力を振るうようになった。
私がなんとかしようとがんばっても夫は飲んだ。
お金も使う。
周囲に迷惑はかける。
その時私の耳に響いたのは
「今までのやり方ではダメだったんだからやり方を変えなければいけない」
ということだった。
やり方を変えるなんてとても不安だった。
今までと違うやり方?
本当にそれがいいの?
今までそんなことをやっている人を見たことないし、、、、でももう今までとやり方を変えるしかなかった。
仕事中にビールを飲み始める。
「どうして飲むの!」と言わない。じっとガマン。でも私はものすごくにらんでいる。
お金の管理もしない。
いくら使ってもなにも言わない。
最初は気が狂いそうだった。
でもだんだん慣れてきた。ある程度は。
私は苦しさを吐き出すために家族教室に行ったり自助グループに行った。
私はお店に入って10年も経つと、なにもできなかった私でもたくさんのことができるようになった。でも相変わらず夫には次から次へと怒られる。
私はやっと気づいた。
“私がどんなに仕事ができるようになってもこの人には怒られるんだ。ただ飲む理由が必要なだけなんだ”
私はずっと不妊治療をしていた。
実はこれが私の大きな苦しみの元だった。
20歳で同棲してすぐ私は妊娠した。夫には産んでほしいと言われたけど私はとても不安だったし、まだまだ遊びたかったから産みたくなくて中絶した。
それから妊娠しなくなった。
そのことで夫には責められ続けた。
「お前があの時中絶していなければ!」
私は罪悪感でとにかく子供が欲しかった。
子供ができたらこの罪悪感から解放されると思った。
体に負担がかかることはしたくないと思って漢方を飲んで不妊治療をすることにした。でも、毎月生理がくることが怖くて精神的にすごく不安定なことが何年も続いた。漢方もまずくてストレスだった。でも子供ができたら何か変わるんじゃないかと思って嫌なことでもガマンし続けた。
私はずっと “私さえガマンすればいい” そう思ってがんばってきた。
でも、、、、
その日は漢方をもらいに行く日だった。
漢方をもらって帰ってきたらお店の営業中なのに夫はベロベロ。
「そんなものに金を使いやがって!」とものすごい罵声が始まった。
耐えきれず帰ろうとしたら
「人殺し!」
そう言われた。
“あんたが避妊しなかったからいけないんでしょ!私のことを責めるだけ責めてあんたは一度も謝ってくれない”
そう言いたかった。
でも私にはそんなこと言えなかった。
後ろから刺してやりたい気持ちになった。
もう涙が止まらなかった。
その日私は家を出た。
これらの出来事が私にとって ”たいしたことない” と思っていたトラウマと夫の暴力なのです
つづく