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「歌われなかった海賊へ」感想

📕『歌われなかった海賊へ』を読んで
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※この感想文はネタバレを含むため、これから本書を読む人は以下のレビューを読まない方が良いかもしれません。

(あらすじ)
1940年代ドイツ。ナチスに反感を持つ少年少女たちは
自分たちのグループ「エーデルワイス海賊団」を組織し、ナチスに対してゲリラ的な反対活動を行う。
ある日、偶然ユダヤ人強制収容所を目撃した彼らは、虐殺行為を阻止するため、収容所に続く鉄橋の爆破を計画するー。

(感想)
戦時下ドイツにナチスに楯突いた若者たちが存在した、というのは、作者のフィクションだと思っていたら、事実を元にしていると知って驚いた。

ヒトラーやナチスに疑問を持つ者は多くいたと思うが、
戦時下の異常さの中で同調圧力に染まらず、冷静な判断力を持ち続けた彼らは
勇気、統率力、知力、体力、あらゆる面で優秀な若者たちで、
非常にかっこ良く描かれている。

エーデルワイス海賊団のルールは「仲間を助けるな」。
にもかかわらず、リーダーの少年は仲間を逃がすため、自ら進んで犠牲になる。
とにかく、かっこよすぎる。

[悪の権化ナチス]vs[勇敢で純粋な若者たち]
という分かりやすい戦いの構図を縦軸に、
もっと複雑な役も描かれていて、中でも特に印象的だった人物が二人いる。

一人はアマーリエ・ホルンガッハー先生。
彼女は「偽善者」、つまりナチスと別の意味での「悪」として描かれる。

ホルンガッハー先生は、貧しい子にも食べ物を分け与え勉強を教えてくれ、
親切で立派な人だと地域で評判だった。
その一方で、反ユダヤ式の教育を行って生徒たちを洗脳し、
主人公たちが助けを求めた時に、見て見ぬふりをする。

戦後も生き残った彼女は、子供や孫に恵まれ、
子供達に人気の歴史教師として生涯を終えたようだ。
「レオンハルト達の処刑を止めさせるため、協力してください!」とヴェルナーが訴えた時、
彼女が良心の呵責を感じている描写もあるにはあったが、
この人は死ぬ瞬間まで善人面を貫いて、自分自身に嘘をついて、
本当に幸福だったのだろうか…?と疑問に思う。

話は変わるが、最近、バイデン大統領を「偽善者」(hypocrite)と批判するアメリカ人の書き込みを、ネットでよく目にする。
(今週末の高校生用の英語ニュース教材にも、それを執筆したばかりである)

「バイデンは、表向きは良いことを言っているけれど、
アメリカや世界のために良いことをしていない」
という文脈の中で、この語が使われることが多い。

新約聖書には「人前でお祈りして寄付する偽善者」がイエスに批判されるエピソードが出てくるが、
(※普段「偽善」という言葉を目にするのは、聖書くらいしか思いつかないのだが、)
ニュース議論で「偽善者」という言葉が、わりと頻繁に出てくるようになったのは、
人々が政治家の偽善にウンザリしている社会を投影しているのかもしれない。

興味深いことに、バイデン氏に比べるとトランプ氏は少なくとも「偽善者」ではない。
彼は公然と差別発言をするし、(失礼な言い方になるが)「いかにも悪そうな大金持ち」といった演出的な話し方をするし(意図的にやっているのかもしれないが)、現在は違法行為で起訴されている身分でもあるが、裁判の結果、
「見た目が悪そうな人間が、本当に悪い人だった」と判明した所で、人々は反感を持たないだろう。

バイデン大統領や、小説のホルンガッハー先生に対して、
なぜ自分が(世間の人も)こうも嫌悪感を抱くのかと言うと

「一見良い人そうなのに、フタを開けてみたら悪人だった」
⇒「裏切られた!だまされた!」
と、あたかも自分が傷ついて損をした心境になるからだろう。

小説の話に戻るが、ホルンガッハー先生と比較すると、
ナチス軍人のカール・ホフマンは、

●ナチスの上官に良い顔をしたい
かつ
●まもなくドイツは戦争に負けることは目に見えている(※この判断ができるあたり、戦時下のドイツの軍人はわりとクレバーだったのだろう)ので、米国連合軍がやってきたら、彼らにも気に入られるように、上手く立ち回りたい

・・・というダブルスタンダードの狡猾な知恵を働かせているのが「見え見え」でゴマをすっているので、
主人公の少年ヴェルナーに「アンタのこと、哀れな人間だと思うよ」と、憐れみの目で見られてしまう。

ホフマンやナチスのような絶対悪は「嫌われ者」で、誰もが「悪」だと分かっている存在で、
清々しいくらい分かりやすいが、
ホルンガッハー先生は「一見、良い人が悪を抱えている」ため、いつまでたっても存在自体が怖い。
この複雑さ、弱さと醜さを抱えた彼女の姿が、人間らしいといえば人間らしいのかもしれない。
彼女の描き方から「偽善」について考えさせられた。

もう一人、印象に残った登場人物は、10歳の少年フランツ。
良く言えば純粋、悪く言えばアホで、周りの大人に聞かされる「ユダヤ人は悪人です」というおとぎ話を信じ込んで洗脳される彼の哀れな姿は、戦時下のドイツに限らず、
例えば現代ならツイッターのデマ情報に翻弄されて自分の頭で考えずギャーギャーと騒ぐ一部の現代人にも多数見受けられると思う。(このように書いている自分も、気をつけなければいけないが…)

エーデルワイス海賊団との出会いで、フランツは
「自分の目で見て、自分の頭で考える」ことを学んでいく。
この小説の中で一番成長したのは、フランツでは?という見方もできる。

最後に。
ガザやウクライナでは、現在進行形で戦争が起こっている。
何もできない自分にイライラするばかりだが、
アメリカの大学生のように破壊的なデモ活動をするのも「何かが違う」と思う。
見て見ぬふりだけはしたくない。自分も弱く、葛藤中である。

『同士少女よ、敵を撃て』も意欲作だったが、
こちらの小説も素晴らしかった。

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