つぶやき3ー好きだからやめない
写真の話を書いてみようと思う
先に断っておくけれど、私個人としては芸術に正解はないと思っている。
写真歴に関係なく好きなものを撮って自己満足で終わればいいと思っている。ただし、“自己満足”と“評価されるもの”は必ずしも一致しないので、良い評価を求めるのなら求める先の“求めるもの”を撮る必要がある
カメラに興味を持って独学で勉強を始めたのが20代半ばくらいだったと思う。ノートに、アナログの一眼レフの絵を描いて、光の通る道を描いたところから始まった。今は書き直して3冊目になるノートだけれど、最初は必ず一眼レフの絵から始めている
2018年の秋、人間関係の9割を失ったとき、新しい世界に飛び込もうと思って公共放送主催の写真教室に入った。カメラのことは何も知らない体で入って、月に2度の夜の講習と半年に一度のデパートでの写真展。私のカメラ勉強ノートにはかなりのページ数が追加された。約20年独学で写真を撮ってきたけれど、撮る写真の幅は広がったし、知識も増えた。
でも2021年に辞めた。
辞めた理由の1つに、撮っても撮っても自信がつかないことだった。
教室にはメインで教える“先生”と補佐をする“助手先生”がいた。
ある日先生が私に向かって言った
「助手先生には、教室に来る生徒さんの写真はゴミだから、1日の終わりは必ず良い写真を見て終わるように言っている」
1日の最後に“良いイメージで終わること”は大切なことだと思う。
だけど、生徒の私に向かって……生徒の写真はゴミだと言われると、成長できる(している)気がしなかったのだ。私より長く長く習っている生徒さんもいらっしゃるのに。そしてそれは暗に、自分の教える能力の無さを披露しているとも思った。それか出る杭を打つタイプか。
ーー写真歴なんて言わなきゃいいのに、そんなに上手でもないのに
というのが写真を撮る人に向かっての先生方の意見だった。
とにかく、そもそも自分に自信がないのに、このような諸々の発言で写真にも自信がなくなって、プロが見てもゴミなら、誰にどんなに褒められてもゴミなのは変わらない、と受け入れられなくなってしまったのだ
全国展に入選したり、地方展に入選したり入賞したりしたけれど、所詮ゴミなんでしょと捻くれて、私の“厄介者加減”に輪がかかってしまった。もう応募すること自体やめてしまったけれど、色んなことを知ると応募する意味を感じられなくなったし、それに肩書が欲しいわけでもない。
(そこに入選することがどれほどのことかあなたは知らない、と先生に言われたけれど知ったこっちゃない)
だけど、写真もカメラも好きだからやめないし、下手でいいと思っている。
ゴミで上等なのだ。(←今ここ)
表現は自由だし、何を良いと思うかは人それぞれの個性なのだ。
ちなみに、カメラ本体も好きなので、カメラの仕組みを知るために『大人の科学』という雑誌で二眼レフを組み立てたり、Lomographyのトイカメラを組み立てたりもした。
趣味においては、自分自身が“楽しい”と思えることが大切なのではないかな
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愚痴っぽく書くつもりはなかったのだけど笑
※辞めた理由のもう一つは、お金がかかること