日本絵画歳時記 桜(2)
こんにちは。椿です。
日本絵画歳時記、桜の第2回目です。今回は花鳥画に描かれた桜をご紹介します。
梅が春の中でも新春の象徴とされてきたのに対して、桜は春の盛りの象徴として親しまれてきました。現代の感覚だと3月の末から4月にかけて、ちょうど卒業入学のシーズンになりますが、旧暦でいうと如月(2月)から弥生(3月)にかけてとなるでしょうか。まさに、うららかな春を代表する花と言えます。
これは江戸時代後期に活躍した絵師、酒井抱一の掛け軸です。1月から12月まで、それぞれの月の風物を取り合わせ、12幅セットで描かれたもので、本図はそのうちの3月幅にあたります。抱一らしい柔らかな階調で描かれた樹の幹と、一つ一つ丁寧に、細やかに描かれた花が、穏やかで上品な画面を作っています。
雉が描かれるのを意外に思うかもしれませんが、俳句でいうと雉は春の季語となるので、ちょうどいい取り合わせになります。余談ですが、現代では日本鳥学会が雉を国鳥と定めているので、桜と雉は国花と国鳥の組み合わせということになります。どちらも国が正式に定めたものではありませんし、偶然ではありますが、面白い一致です。
続いてこれは、狩野元信の「四季花鳥図」屏風です。屏風の場合、並べて置いた時に向かって右になる方を右隻、左になる方を左隻と呼び、あわせて一双と数えます。どちらが右左になるかは落款印章(らっかんいんしょう:署名と判子)の位置で判断するのが基本です(並べた時外側に落款印章が来る)。ただ、四季花鳥図の場合、右隻右から春夏、左隻右から秋冬と展開していくのが普通で、落款がなくともだいたい左右は分かります。
本図でも右隻の右半分ほどに桜の木が大きく描かれており、標準的な配置ということになります。他に松と紅梅も描かれていますが、金雲の占める量が多いため前後関係がやや分かりにくく、まるで一体化しているように見えます。桜は花弁の多い八重桜で、葉もたくさん付いており、金地に白い花がよく映えて、画面を華やかに彩っています。
元信は室町時代の後期に活躍した絵師で、水墨画を基本とした漢画様式と、著彩画の伝統を引くやまと絵様式を融合し、後に続く狩野派のスタイルを決定づけた人物です。本図には元信が74歳の時に描いたという落款があり、天文19年(1550)の制作と分かります。70を過ぎてこれだけの絵を描くのも驚きですが、来たる桃山時代を先取りするような、豪華絢爛な画面に目を見張ります。
次にご紹介するのは、現在京都の智積院が所有する襖絵です。一般に「桜図」と称されているものですが、実は、この絵は初めから智積院にあったものではありません。もともとは、豊臣秀吉が、幼くして亡くなった息子鶴松のために建てた、祥雲寺というお寺の襖絵でした。大坂の陣で豊臣家が滅んでのち、祥雲寺は廃され、智積院にその建物と土地が与えられたのです。その後火災や盗難などもあり、当初の様相は失われてしまいました。本来どういう構成で、どういう部屋に設えられていたものか、まるきり分からなくなっているのです。
ただ、同じく智積院に伝わる「楓図」とサイズが共通するので、本来はセットで設えられていた可能性が高いと言えるでしょう。主題的にも春と秋の取り合わせとなり、ぴったりきます。
あらためて作品を見てみましょう。祥雲寺の障壁画制作を命じられたのは、桃山時代を代表する絵師の一人、長谷川等伯ですが、「楓図」が等伯本人の筆と考えられるのに対して、「桜図」は作風がやや異なるため、別人の筆と考えられています。より華麗で繊細な作風からして、筆者は等伯の息子、久蔵であろうというのが現在の定説です。
桜の樹自体は、楓に比べればそれほど太くはありませんが、それでも十分な巨木と言っていいでしょう。左右いっぱいに枝を伸ばし、たくさんの花を咲かせています。これも前後に金雲が重なり分かりにくいのですが、奥に柳の木があり、青い葉が所々垂れているのが見えます。
花を拡大してみると、一つ一つの花弁が盛り上がっているのが分かります。砂糖菓子のように粉を盛り上げて花びらを表しているのです。こうした表現は伝統的なやまと絵でしばしば見られるものです。久蔵には平家物語の一場面を描いた「大原御幸図」(東京国立博物館)という作品があり、そこにもこうした丸みを帯びた八重桜が描かれています。久蔵がやまと絵にも精通していたことを示す表現法と言えるでしょう。
当初のプランは不明ながら、智積院障壁画では桜と楓、春と秋が取り合わされていたと推測されます。もしかすると、夏と冬を描く襖は失われただけで、本来春夏秋冬がそろっていた可能性はありますが、春夏秋冬の中でも、特に春と秋を抜き出してセットとした例は実際に見られます。そしてそういう場合、組み合わされるのはたいてい桜と楓(紅葉)です。
本図は作者不詳ながら、桃山時代に描かれたと思われる一双屏風です。右隻には桜、左隻には楓の大木がそれぞれ一本ずつ描かれています。驚くべきは画面を覆い尽くす桜の花と、紅葉した楓の葉です。まさに圧倒的というべき埋め尽くし方で、伝統的な花鳥画のスタイルとは一線を画した、大胆な画面構成と言えます。ご覧の通り、特に場所を示すモチーフがあるわけではありませんが、それぞれの名所である吉野山と龍田川の名が付されて伝わっています。
この作品の眼目が桜と紅葉、春と秋の取り合わせにあることはいうまでもありません。春の景物を代表する桜と秋を代表する紅葉、花と葉、白と赤、様々な点で対照的な表現となっています。
そもそも春と秋は、過ごしやすい季節としての共通性を持っています。それがゆえに、行楽に適した季節でもあり、人々は野山に散策に出掛け、宴を催しました。そして、花見、紅葉狩りという言葉があるように、桜と楓(紅葉)はそれぞれの季節に愛でられるべき花木として、春と秋を象徴し、対で捉えられる存在となっていったわけです。この作品はそれをこれでもかというほどストレートに表しています。やり過ぎの感は否めませんが、気持ちいいほど突き抜けていて、いっそ清々しいほどです。なお、よく似た画面構成ながら、画中にそれぞれの名所を歌った短冊を書き加えた作品(江戸時代か)が根津美術館にあります。
最後も同じく桜と楓を並べた作品ですが、雨と組み合わせることで、しっとりと落ちついた風情を生んでいます。最初にあげた酒井抱一の弟子、鈴木其一の作品です。師の抱一は俵屋宗達や尾形光琳に私淑し、江戸の地で新たな琳派風の作品を生み出しました。その瀟洒で機知的な作風は江戸琳派と呼ばれ、現代でも高い人気を得ています。
其一は抱一の弟子の中でも筆頭というべき存在で、しばしば多忙な師の代作を手掛けるなど、その技量は大変優れたものでした。抱一が江戸の地で育んだ瀟洒な作風をよく受け継ぎ、淡雅な作品を多く残しています。
本図は、これまで見てきた襖絵や屏風とは趣を変え、華やかさを抑えつつ、情緒あふれる作品となっています。雨にかすむ花や葉の様子が微妙な階調をもって表されており、いかにも江戸琳派的な作風を示した佳品と言えるでしょう。
以上、花鳥画に描かれた桜について見てきました。一口に花鳥画と言っても、様々なタイプ、表現法があることが分かります。ただ、花鳥画は花木そのものを描くことを主眼としていますから、花としての桜の特徴、美しさを素直に表そうとした作品が多いと言えます。
次回以降は、必ずしも花木を主題としない絵画、宗教画や風俗画において、桜がどのように描かれているのか、見ていきたいと思います。
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