
ミーハーでいたらダメですか?
昨日は’Riverの単独ライブに行ってきた。
’Riverはフランスのビートボクサー。

5年ほど前にビートボックスに興味を持ち、それから色々とビートボクサーの動画などを見て「かっこいい。すごい」と好きの度合いが増していった。
ただ私はビートボックスはできなくて、聴いてワクワクするだけ。
生でビートボックスを聞きたいと去年はBeat City Japan PRE とGBB24、あと直近ではエリアSARUKANIの東京公演へ行った。
とても素敵な体験になった。
そして今回の’Riverの単独ライブ。
今回、私は金をはたいてVIP席をとった。
ソファに座って見れるし、記念品もらえるし、リバーと写真撮れるし、特典が魅力的すぎて迷いはなかった。
VIPエリアを見渡すと、ビートボクサーだらけで腰を抜かしそうになった。
あとはご家族などの関係者ばかり。
ビートボクサーどうしで皆楽しそうに喋ってる。
私だけが、1人でポツンとしている。
1人なのは全然平気。
むしろ1人のペースで何事も楽しみたい。
ただ私は場違いなのではないか?
私はどんなにビートボックスを練習しても「ブツカブツカ」とはっきり言葉で出てくる素人だ。
私だけ浮いてる気がする。
もう関係者のような顔して見るしかない。
始まってしまえばもう関係ない。
楽しむだけだ。
(実際楽しんだ)

ビートボックスの世界は他のジャンルよりディープに感じる。
ビートボクサーどうしのリスペクトと絆の深さも本当に素敵だと思う。
けれど、
Xで、ビートボックスのにわかファンに対してネガティブなツイートしている人がいて、しかもそれに賛同するリプがついていた。
それを見かけたとき、私の心は萎縮した。
排他的なものを感じた。
ビートボックスができない、ただの1ファンはVIP席で見たらダメですか?
ライブに行ったらダメですか?
推しと写真撮ったらダメですか?
良いよね?
このドロップがすごいとか、偉そうなこととても言えない。言えないけど、楽しんで良いよね?
いーや、楽しむべきだ。
もっとビートボックスの裾野が広がり、いろんな人がビートボックスを楽しんだら良い。
プレイヤーだけじゃなくリスナーやサポーターがたくさん増えてほしい!
素晴らしい文化なのだから、盛り上がった方が良いじゃないか!
私はそう思う。
数え切れないくらい推しのビートボクサーがいても良いではないか。
ビートボックスができようが、できまいが、そこに差別や区別はいらないと思う。
ギターが弾けなくても音楽が好きな人はたくさんいる。
踊れなくてもバレエ鑑賞が好きな人はたくさんいる。
歌が得意じゃなくてもオペラが好きな人はたくさんいる。
VIP特典でリバーとコラプスと写真を撮ってもらえて私は本当に幸せな気持ちになった。

ROFUのFuga君も見かけたので勇気を出して一緒に写真を撮ってもらえて、思わず「ユッケモリモリ!」と言ってしまった。
Fuga君は優しい方なので「ユッケモリモリ!」と返してくれた。
嬉しかった。
ライブそのものも感動して楽しくて、ワクワクしたのに更に大好きで憧れの人たちと写真まで撮れるなんて。
こんな幸せなことがあるだろうか。
ビートボックスは人の口から多彩な音が奏でられて、その繊細さも迫力も個性も、楽器とは比較にならなくて。
そんなビートボックスに胸を打たれているのは事実なんだ。
何度も言う。
「好き」は自由だ。
(過去記事の「“好き”に胸を張れるか」もぜひ)
そして今日はBeatCityJapan PREをAbemaで見ている。