良いお別れ
タイトルはまま、goodbye!のことである。
わたしは、さようなら。するのが苦手だ。
「じゃ、またね!」
といって、さくさくさよならして別のことをしていれば、
だいたいは誰とでも、お別れなんて大袈裟なことは言わなくて済むように
なるし、なっているし、それでよいのだろうと思っているし。
それで間違ってはいないと思うのだけれど…
でも、そういうことではなくて。
何か気になっている。
私はこんなふうに、感じ良くお別れすることが、苦手だ。
ここのところ、週末は実家の片付けの続きに出かけているのだけれど、
今週は、何年も風邪を引かなかったという母が風邪をひいていて。
風邪薬を買いに行き、片付けを終えて、
じゃ、またね。とか、お疲れ様とか。
大事にね。とか。
そうか。大事にね。って言えば、よかったのか…。
「大事にね」っていう前に、母が、
今日は朝早く来たから、夕ご飯作っていないんじゃないの?
お父さん(旦那さん)が作ってくれるの?
って、我が家の夕ご飯の心配をしていて。
私はというと、ちゃっちゃと今日やると決めた分を片付けてしまいたくて。
ピッチをあげて片付けしている私をよそに、
母はちゃっちゃと私の帰りのルートを検索。
何分に駅に電車が来るから、この駅で降りて乗り換えるのよ。
すぐに特急が来るから、今度はこの駅で乗り換えて、
この路線とかではなくて、この路線でここまで乗ってから乗り換えるのよ。
あと15分で駅に電車が来るから、逃さないように!
風邪とはいっても、大丈夫そうだけれども。
けっこう追い立てられるように。
じゃあね!
と家路を急ぎ。
なんだかなぁ。と、
こんな調子で我が家は、家族全員で久々に集まっても。
集合写真すら撮らず。
おじいちゃんと長男を会わせた時にも、
初ひ孫との写真を一切撮れないままだった。
欲しかった。長男と、おじいちゃんのツーショット。
これこそ本当、後の祭り。
なんなのかしら。
常に血液のように流れてはいるけれど。
この、流れのようなものが我が母家系の血で。
じっくりテーマを決めて話をしたり、
そういった事は、一切ないのよね。
そんなもので、私も息子たちには、
さよならの挨拶ひとつ、教えていない気がする。
旦那さんの家系はきちんとご挨拶したり、
なんの滞りもなく誰の気分を悪くさせることもなく場を締める、
みたいなことが本当に上手だから、
本当に、助かるなぁって、思う。
楽しいさよなら事例とか。
たくさん読んでみたいな。
ということで今日は電車にたくさん乗ったので、
『死都日本』を、「真理」さんの章まで進めました。
『2034、米中戦争』でも読みましたけれど、
なんと『死都日本』世界線でもまた違う台湾戦争周辺の描写があって、
大地震が起こるとどうなるか、を他国の干渉を含めてここまで
描くなんて、やっぱりSFってスケールがちがうな!って、
本当に感心してしまいます。
しかも、著者さんが本業お医者さんなので、主人公の奥さん、麻酔科医真理さんの手術中の描写の臨場感もたっぷり。
活火山から人々を避難させたという神武天皇のお話も神話と絡めて語られますし、後半も、どんどんと読めて、面白いです。
それにしても、『死都日本』のなかでは火山灰で荒廃する国土に日本中の都市の価値がなくなっていき、株価がめっちゃ大暴落と読んでいるところ、現実では株価、たいへん上がっているそうで。
この落差が味わえるのも、良きことです。
本から顔をあげ、胸を撫で下ろし、心底ほっとできます。
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