見出し画像

夏日記特別編『ゴムゴムの女』第二話 土葬

ホラーコメディである『彼女はジャンヌ・クーロン、伯爵家の降霊術師』の執筆にあたり、自身が体験した怖い話を整理していたので、この夏供養することにする。夏日記特別編として、全五話連載予定。今回は第二話の更新である。
第一話
※記事に使用しているコミカライズ版ジャンヌ・クーロンの画像ですが、担当さんより使用許可をいただいております。


「ジャンヌ・クーロン」では男たちの生き霊に取り憑かれたマリーズ。今回私の出会った怪異の正体は?


前回謎の白い手が出てきたところで終わったけれど、ジャンヌのように怖い話にわくわくできる人のみ次に進んでください!






***


地面から、人の手が生えている。
なんで――と思う前に、手はすばやくうねり、私をめがけて伸びてくる。私は悲鳴を上げたが、それは声にならなかった。畳をひっかき、逃げようとした。手は私の足首をつかんだ。

引きずり込まれる。
どこに。地面に?

手があると言うことは、手が繋がっているその先があるということである。
すなわち、胴体。顔。
あの手の先には何がいる?
見たくないものが、目の前に広がっていくような気がした。


この体験をヒントに描いた、マリーズが生霊たちの手に絡め取られるようなシーン。


私はもがいた。柱につかまり、なんとか連れて行かれないようにした。叫び声をあげ、暴れる私を、母が見つけた。私は汗をびっしょりかいていた。

「地面から手が生えた」

母に伝えたが、悪い夢を見たのだと言われた。
暑いから――きっとあんたは日射病になったのよ――昔からそう。あんたはいつも暑いのには弱いからね。
そうして、涼しい部屋で眠るようにと、そっけなく指示されただけだった。
畳につっぷし、肩で息をした。
見上げれば、黒く艶めく巨大な仏壇がそこにある。

怖くなった。
外にも中にも、なにかがこの家にいる気がした。

この地域のお盆は、少し変わっている……と思う。友人や知人に聞いたところ、このような風習があるのは私の住んでいる地域だけだったからだ。
詳しく調べていないので、実は一般的だったということもあるかもしれないが、少なくとも母の実家の横浜の方では、同じような経験をしたことはなかった。

お盆の始まりには、墓地から線香を持って、家まで歩くのである。
線香をたっぷり持って、道中に数本ずつ火をつけ、地面に置いてくる。ヘンゼルとグレーテルが石を置いて目印にするように。


決まって陽の沈んだ後、夕方から夜にやらなければならない。そうでなければ「おかしい」のだという。
お盆の始まり、夕暮れ時にになると、電信柱のそばに線香やナスやキュウリの精霊馬が置いてある。

「これを置いていくと、ご先祖さまがおうちまで帰れるからね」
と伯母によく言われた。
「おうちって、どの家に帰るの?」

と私は聞いた。
親類縁者がかたまって住んでいるということは、ご先祖様はどの家に帰ってもいいような気がしたのだ。私の祖父は、隣の家に住んでいる伯母の父であり、そして真向かいに住んでいる本家の当主の兄弟であった。
このあたりで、父に似ている人を見かけたら、たいていは親戚といったありさまなのである。

「お仏壇のあるつばきちゃんの家かもね」

と伯母が言った。
ドキッとした。
あの白い手のことを思い出した。でも、あれはきっと悪い夢だったのだ。あの後しばらく経っていたが、手は見ていない。忘れようと思った。

日が暮れた町の中を、一族が揃って線香を持って歩いた。
親類がひとかたまりになるため、同じような顔が連なって、同じ方向を目指す。

私は、父にも母にもあまり似ていない。けれど似ていたらこの一部になるのだと思った。少し怖かった。

お墓から配っていた、最後の線香は仏壇にあげる決まりだった。
どきどきしながら手をあわせた。
我が家は古く居心地がよくなかったため、伯母の家で食事をした。
伯母は料理が得意である。いつも台所に立ちっぱなしであった。

「つばきちゃんは最近よく食べるからね。作りがいがあるわ、おばちゃん」

といって、得意料理の里芋の煮っ転がしや野菜の天ぷら、ポテトサラダにバンバンジー、一口うどんやおにぎりなど、食べきれないほど食事を作ってくれた。

夢中になって食べていると、配膳を手伝いながら母は言う。

「このあたり、遺体は土葬していたって本当ですか?」
「そうよ。最近までね。お葬式も家でしていたしね」

と、なんてことのないように伯母は答えた。

「昔はそんなの当たり前だったんだよぉ。人が死んだら、町内が総出で、えっちらおっちら墓まで運んだんだ」

伯父も、何人か運んだに違いない。焼酎を片手に、得意そうに言っている。

「でも……そんな、昭和の話じゃないですよね」

母の言葉に、伯母は目をむいた。

「あらやだっ、Mさん、昭和よぉ。失礼しちゃうわ」
「Mさんは都会から来たから、びっくりしてんだよぉ」

伯父伯母の話に、私まで目を白黒させた。
伯母は仏壇こそ弟に押しつけたが、遺影は大事に持っていた。
亡くなった人たちがぐるりと取り囲む居間で、私たちは食事をしている。
では、伯母の家に飾ってある遺影の人たちは、棺桶に入って、土に埋められているということ?

私は遺影をひとつひとつ確認した。
男性の遺影ばかりだ。
私が生まれる前に亡くなった祖父、血縁関係がいまいちわからない海軍の制服を着た若い男性――たぶんこの人は戦時中に亡くなったのだろう。
女性は父方の祖母だけだが、この人はつい最近亡くなって、私が遊びに行くたびにあめ玉をくれた優しい人だった。

あの手の人じゃない。それに祖母のときはさすがに火葬だった。
なぜだかわからないけど、あの手の持ち主が女であることは、私もわかっていた。

私はいつの間にか、庭から伸びてきた手の持ち主を探していた。

「誰かが死んだら、近所のみんなで土掘って、埋めたってこと?」
「そうだ~~。こわいだろ、つばきちゃん」

伯父は酔っている。テレビのチャンネルをいくつもまわして、大胆にげっぷをしている。

よくよく考えたら、墓場に遺体を埋めたのだ。この庭に埋まっているわけじゃない。
だから「送り」も線香を持って、お墓まで歩くのではないか。

私は納得した。

お盆の初めは「迎え」、終わりは「送り」と言い、行きと真逆の道をたどる。今度は家からお墓まで線香を持って歩くのだ。

先祖の霊はかえっていく。でも私の胸はざわざわとしていた。
あの白い手。あの手の持ち主は、私の先祖にあたるのだろうか。
お盆の時期には、あの手は現れなかった。あの手はきっとお盆の儀式で連れてこられたものではないのだ。
送り迎えする人の中に、あの手はいないのではないか。

私はいつのまにか、あの手を「ゴムゴムの女」と呼ぶようになった。


お風呂で髪を洗っているとき、ひび割れた洗面所で顔を拭いているとき、白い手が伸びてくるんじゃないかと、いつも鏡を気にしていた。


オーガスティンはそう言うが、風呂場の鏡ごしに私はなにごともなくあってくれと思っていた

家を建て直す……父からそう言われたのは、この家に引っ越してから一年ほど経ったときのことだった。

仮のすまいとして、アパートに引っ越した。
私はしばらく、ゴムゴムの女を忘れることができた。