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またこよや

親父の手術が9月の10日に決まった。6日から入院なので、昨日(5日)は親父の入院準備を手伝うことになった。
いつもは親父とふたりだけだったが、たまたま奥さんも休みになり、上の子は小学校なので、今回だけゴメンねと思いながら下の子を保育園に預けさせてもらい、久しぶりに大人だけの3人で出かけた。
この3人の組み合わせは何年ぶりだろうか。子どもができる前が最後だったので、7、8年ぶりだった気がする。親父は聞き上手の奥さんのことが大好きで、いつも特に会話もなく淡々と終わる入院の準備も、親父と奥さんの会話が弾んだワイワイした内容となった。とは言っても内容は入院の準備なのだが。
いろいろ終わらせたら11時。少し早いけど、今の方が空いてるからごはんにしようということになった。いつも混んでいる鰻屋さんがこの時間ならまだ空いてるかもと思い、手術後はしばらく食事が摂れなくなるらしいので、どうせならええもん食うとけってことでそこへ向かうことにした。
この予想がばっちりハマって、いつも並んでいる鰻屋さんが、開店直後でガラガラだった。すぐに入って、俺と奥さんは上うな丼、親父には半ば無理矢理に特上うな丼を注文させた。さいしょは遠慮していた親父も、ここはこっちが出すからと奥さんとふたりで言うと、調子に乗ってうまきも注文していた。遠慮せえ。
そうして出てきたうな丼はもうそれはそれはおいしく、外食に行っても子どもを見ながら流し込むように食べていた俺と奥さんは、こんなに贅沢な時間があっていいのかと、子どもたちに後ろめたさも感じながら、噛み締めるようにゆっくりと食べた。抗がん剤治療の副作用で食欲が落ちていた親父も、好物の鰻は久しぶりだったらしく、特上のうな丼を完食していた。奥さんの手前、カッコつけていたのかもしれないけど。
注文してから鰻がくるまでの間も、親父はずーっと奥さんと話していた。俺が子どもの頃の話、孫の話、自分の話。一個一個の話を奥さんはいちいち驚き、笑い、それに調子付いた親父はますます話し込んでいた。結婚して、子どもができて、俺が見たことのない親父の表情がたくさん見られた気がする。そんな光景を見ながら、結婚してよかったなと思った。
みんなが完食し、最後に熱いお茶を飲みながら、親父がボソッと「また来れるように、頑張らないかんな」と呟いた。誰に言うでもない、本当に自分に言い聞かせるように言ったひと言だった。それを聞いたとき、俺は涙が溢れそうになったのをグッとこらえた。
親父のこれからの道のりは、ハッキリ言ってしまうとかなり厳しい。今回の食道ガンの手術が終わるとしばらく食事を摂れず、腸に繋いだチューブから自分で注射で栄養剤を入れるらしい。それが長ければ数ヶ月。そしてその後に口腔ガンや舌ガンの治療があるが、しばらく抗がん剤治療ができないので、その間に大きくなるリスクはあるし、ほかの転移が怪しい部分もある。
でも、その道のりを知らされて、その過酷さを知ってなお親父はあんなに楽しそうに笑って、「頑張らないかんな」と自分に言い聞かせている。俺が同じ立場なら同じようにできるんかな。
お会計が終わってお店を出て、親父のふざけたデカい声の「ごちそうさまです!」が響き渡ってから、親父とこんな会話をした。
親父「ここうまかったでさ、全部おわったらまたこよや」
俺「ええけど、次はお前のがん保険使ってお前が出せよ!」
親父「よっしゃ分かった!今度は孫らも連れて、全員特上やな!」
俺「うまきもひとりいっこな!」
親父「病人にたかるな!笑」
奥さんは呆れたように笑っていた。
別に金なんかどっちが出したってええよ。特上じゃなくていいし、うまきもなくてもいいよ。いや、やっぱり欲しい。
でもさ、親父よ。絶対にまたこよや。な。


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