悲しみで花が咲くものか
大好きなサンボマスターの曲の歌詞に、こんなものがある。
「僕らはいずれ誰かを疑っちまうから
せめて今だけ美しい歌を歌うのさ」
もうこの歌詞を読んだだけで泣けそうなくらい、本当に素晴らしいと思っている。
誰だって、いつだって上機嫌ではいられない。どうしても納得がいかないこと、理不尽なこと、悲しいことがいっぱいある。それを出すか出さないか、出すにしても笑い話にするか、悲しい話にするか。他人にそれらをどう出すかで人のあり方は決まってくると思う。でも、距離感が近ければ近いほど、そういう感情はストレートになりやすい。傷つけてしまいやすい。そしてそれを出す側はまだいいが、受けとる側にまわるとこれが結構キツかったりする。「こいつこんなやつだっけ?」「この人、こんな事言うんだ」と、思う。ショックを受ける。悲しい気持ちになる。傷付く。
そう。僕らは、疑ってしまうのだ。大好きな恋人を、信じている仲間を、愛する家族を、疑ってしまうのだ。思いたくないことを思ってしまったり、言いたくないことを言ってしまったりする。
でも、サンボマスターはこうも歌ってくれる。
「昨日のアナタが裏切りの人なら
昨日の景色を忘れちまうだけだ」
僕らは、本当は知っているんだ。あいつがあんなこと言うやつじゃないってことを。あの人が本心であれを言っているわけじゃないってことを。もちろん、どんな場面でも言っちゃいけない言葉はあるし、それだけは言ってはいけないひとことだってある。だけどさ、あなたが忘れられる、忘れたふりができる言葉なら、もう忘れちゃえばいいんだよ。たくさん腹が立って、疑って、悲しくて。でも、それでも自分の知ってるあいつはそんな人じゃないって思えるなら、忘れたふりしたらいいんだよ。そいつがあなたの思ったとおりの、あなたが知っている人なら、いつかご飯でも誘ってきてさ、酒の力借りてさ「あの時、あんな酷いこと言ってごめん」なんて謝ってくるよ。そしたらさ、「え?そんなことあったっけ?」なんて言ってやろうぜ。僕らは人を傷つけて、疑って、裏切って、怒らせて、たくさん悲しませてきた。でもたくさんの人にそれを忘れてもらってきた。忘れたふりをしてもらってきた。許してもらってきた。世界はそれをさ、愛って呼ぶんじゃないの?