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どうしゅようかねー。
親父がガンになった。食道ガン。ふたりにひとりがガンになるこの時代で、今まで好き放題に酒とタバコを浴びまくってきた親父だから、子どもにとっては「まさかあの親父が?」みたいな驚きはとくに無く「とうとう来やがったか」みたいな感想の方が強かった。
5月ごろ、親父が大阪に来た。いつものように我が家に泊まって、いつものように孫たちと戯れて、いつものようにみんなで外食をしていた時、親父が食べ物を喉に詰めた。なんとか吐き出させて、その後病院に行かせようとしたが、病院が大嫌いな親父なのと、日曜日でなかなか病院が開いてなかったこと、しばらく様子を見ていたが、親父にその後変わった様子がなかったことから、「帰ったらちゃんと病院に行け」とキツく言って、その日は実家に帰って行った。食べ物を吐き出させたあと、「最近、食べ物が飲み込みづらくてな」と言っていた親父のひと言が、ずっと気になっていた。
「俺、食道ガンやったわ!」と、笑いながら電話をかけてきたのは、7月の頭のことだった。他人事のように、笑いながらサラッと言う親父に、俺もとくに心配することもなく「だろうなと思ったわ!」と返し、病院での詳しい説明を聞くために数日後、地元の大きい市立病院へ向かった。
ガンの告知と言うとみんな深刻な感じで、医師が伝えづらそうに言葉を選んで話すのかとおもいきや、ものすごく淡々と今までの経過、検査結果、CTと胃カメラの画像を説明し、最後にここでは治療できるだけの設備がないからと、大阪にある大きな病院を紹介してくださった。うちの親父は話の介錯を自分の都合の良いふうに捉えたり、ところどころはしょったり盛ったりするクセがあるので、直接医師の話を聞いておいて本当に良かった。
三重の田舎町に住んでいる親父は、当初は愛知県の病院に行く予定だったが、ひとり暮らしなのでサポートできる人間がいないことから急遽、俺が住んでいる大阪の病院を紹介してもらえるようになった。しかも翌日に詳しい検査もしてもらえることになったので、三重からとんぼ返りで親父を乗せて大阪に帰り、数日間我が家へ泊まることになった。
これがまあ、なかなかややこしく。笑
すっかりひとり暮らしに慣れた親父は自由気ままであり、奥さんは義理の父とはいえもちろん他人なので気は使うし、じーじが急に泊まりにきた孫たちのテンションはすさまじいもので。たった4日間程度ではあったが、まあーみんな疲れ果てた。とにかく、とにかく疲れた。
さあ、これからどうなることやら。
ありがたいことに親父はすんなりガンを受け入れていて、入院生活をなんとかやっている。
入院する前、入院の準備を買い出ししていた薬局で「最後の酒くらい好きなやつ飲め」と、好きな酒をプレゼントし(と言っても大した酒ではないけど)家で悪酔いして孫たちにウザ絡みした親父を怒ったことは、ちょっと後悔している。笑
状態としては、悪い言い方をすればなんとも中途半端な状態で、ちょいちょい転移はあるものの、薬が合えばなんとかなるかもしれないし、なんともならないかもしれない。
まあ、あれこれ考えたってしょうがないからね。起こったことに対して、柔軟に対応していくしかないわな。
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親父が入院したあと、実家に帰った。ほんとなら毎年のように親父もいて、みんなで海に入って、墓参りをして、夜はおいしいものでも食べて、孫たちにおもちゃでもせがむようなところなのに、そこに親父はいなくて、さみしさを感じながらも実家はぜーんぶそのままでめちゃくちゃ汚くて、片付けくらいしてこいよとちょっと腹が立ったのは内緒だよ♡
親父よ。あんたにガンを告げられた電話で、「これからどうなるかは分からんけどさ、まあとりあえず、人生、どうやった?」
って言う俺の問いに
「そやなあ。いろいろあったけど、まあお前の嫁さんと孫が見れたのは嬉しかったな」
って言ってくれたこと、めちゃくちゃ嬉しかったよ。あんたがこの先どうなるかは分からんけど、あんたがやりたいようにやらしてあげるのが俺なりの親孝行やと思ってるから、まあ自分が納得いくまで好きにやりなさい。