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農家の自分が来た道②奥日光編~未熟だったあの頃~

前回の農家の自分が来た道①奥日光編~社会人デビューは大自然の中で~はこちら

■優しい環境

インタープリターが天職だぁ~っと思っていた私は、その世界にグッと引き込まれ、その道で活躍するプロフェッショナルの先輩方に憧れ、とにかくうまくなりたい、近づきたいと思っていました。
奥日光にいた大半は自然のこととインタープリターとしてどう成長するかを考えていました。
運よく学生時代の心許せる同期が同じ職場にいたのと、尊敬できる上司や先輩がすぐそばにいて、その方々の背中を追うことが日々の目標で、迷うこともありませんでした。
自分がおもしろいと思うこと、大切にしたい大好きな自然のことをどうしたらもっと良く伝えられるか、そのことに多くの時間を使えていたのはなんて贅沢だったのだろうと思います。
他に考えないといけないこともいっぱいあったはずだったけれど、周りで温かく見守ってくれた環境には感謝しかありません。

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■未熟で世間知らず

そんな恵まれた環境にいた一方、当時は社会人として私はめちゃくちゃ未熟で幼い人間でした。
今の私から見たら、ちゃんと仕事してたの?それって仕事してたって呼べる?そんな感じでした。
それでも当時の彼は必至なのでした。
自然系の業界はとても特殊な仕事で、更にその中でも限られた環境で働いていたので、世の中の感覚と離れてしまった部分がありました。
当初はなかなかそれに気づきませんでした。
働くこととは?お金の稼ぎ方は?恥ずかしい話、自分がもらうお給料はどこから発生しているのかも、なんとな~くしか知りませんでした。
今思うと怖い話です(笑)
狭い視野の中でしか物事を考えられなかったのです。
もし今の自分があの頃と同じ環境で働いていたら、もっとやれたこと、やりたいことがたくさんあったろうなと思います。

■自分自身から脱却しなければ

今はわかりませんが、当時の職場は人の異動が頻繁にありました。
大体が3年くらいの間で人の入れ替わりがありました。
辞めたり新しい人が入ったり、いい意味で新陳代謝はありましたが、人の蓄積みたいなものはしにくい環境でした。
その理由はいろいろとありますが…。
そして、尊敬して常に背中を追いかけていた先輩が辞めることになったとき、私の中にポッカリと穴が開きました。
それと同時に今まで頼っていた存在がいなくなり、先輩がやっていた仕事や責任の重圧が自分に回ってきたのです。
もちろんチームで動いているので、全てがそうではありませんでしたが、私なりに積み上げてものを守らないと!というプレッシャーを抱えるようになりました。
22、3歳にして現場を任される存在になりました。(と勝手に思っていただけかも…)
もちろんやりがいはありましたし、そのことで大いに成長できました。
しかし、気づいてしまったのです。
わからないことが多すぎる自分に。
わからないというのは業務上のことでなく、仕事はこなすことはできてもそれ以上、自分には何にもないことが露呈してしまったのです。
今の環境をどう良くしていけばいいのか、どう自分を高めていけばいいのか…考えられずにいました。
その時の私は、「この環境を抜け出すしかない」そう結論に至りました。
結果として良かったとは思いますが、前向きな結論ではなく半分は逃げていたのだと思います。
環境のせいにしていたのです。
そして2011年3月で退職しました。

■財産は人

退職して10年経ちますが、第2の故郷ランキングなるものがあれば、間違いなく1位でしょう。
第2なのに1位って矛盾してますが(笑)
それだけこの3年間は私にとって大きな影響を与えた時間でした。
特にここで出会った方々とのつながりは今でも自分にとって大きな支えです。
職場の仲間、地域の皆さん、常連のお客さんにめちゃくちゃ良くしてもらいました。
ヒョロヒョロした若造を本当に良くかまってくれたなと(笑)
特に地域の青年会に入って、お祭りに向けて太鼓や鐘の練習後の飲み会は、衝撃的刺激的で、これが飲みにケーションか!!とビビってました。
でもあんなに見ず知らずの人間を心良く受け入れてもらった、そんな経験は初めてで、戸惑いながらもすごく嬉しかったのを覚えています。
また、ベテラン助っ人職員であった奥日光の母と(勝手に)呼ぶべき方からもらった、「人生に無駄なことはないよ」との言葉は、私が悩んだときにいつも思い出す心の支えです。
まさにこうして当時のことが形になっています。

もちろん全ての人間関係に納得していたわけでなく、なぜだ~!!っと思ったこともありましたが、多様な価値観を持った方がいると知った良い経験です(笑)
まだまだここでは書き足りない、言えないおもしろ珍事件はあるのですが、興味がある方はオフレコで聞いてください(笑)
奥日光の財産は大自然とそれ以上に”人”であったと、改めて強く思います。

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さて、奥日光を後してた私は実家の埼玉に戻ることになります。

(つづく…)

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