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1000のタンバリンを打ち鳴らしたような星空

2023年12月の手記

毎日チバの歌を聴いている

ミッシェルやROSSOを聴いていた10代の頃 わたしには好きなものがたくさんあって、不自由だけど自由だった いつだって海に飛びこめて、この汚い世界の中で綺麗なものを見つけるのが得意だった

私は本来好きなものは1人きりで好くのが好きなんだけど、ミッシェルは、チバは、なんかみんなで好きだった 高校時代バンド仲間は揃いも揃ってミッシェルが好きでチバに憧れていた どいつもこいつもゲットアップルーシーを弾いたしアベさんの鬼のカッティングをできもせず真似したりカラオケでジプシーサンディーを歌ったりパルコに行って今ごろは茶髪と寝たりしていた(してない)

03か04年ぐらいのライジングサンで、サンステージのROSSOを前の方で見ようと始まる前からひとりスタンバイしていた時、隣にいたお姉さんと盛り上がっておしゃべりをしたことを覚えている たしかROSSOの前に花火が上がってそれを眺めたりROSSOの曲の話とかチバの話をしたりしたんだと思う、私はまだ高校生とかでそんなにライブに行ったこともなかった時だったけどその時の知らない人と、ライブが終わればもう会わない人と、人生の中ではたった一瞬の線の交差がとてもきらめいていて、ライブのことは何にも覚えてないけどそのことだけを今でも印象深く覚えている 生活や人生のある人間ではなく、ステージを前に客席に立つその時だけは、ただの魂と魂の接触となることが、ライブのそこが好きなんだと思う その体験がすごく素敵だったから、楽しいときにすぐその辺の人に話しかけちゃう人間になったんだろうな

あの時の女性はもうそのことを覚えてないかもしれない でも今チバのことを思っているだろう、きっとどこかで 同じように涙を流しているだろう

チバは音楽そのものはもちろんだけどそういう、まつわる人との青春をくれた人だった 
今思えばそれってチバが一番欲しかったものなんじゃないのかな チバのことよく知らないけど、意図せずカリスマになってしまった寂しがり屋の星みたいな人なんじゃないか

私にとって音楽は信仰で宗教だから、他人とわかりあいたいと思わないし何度も言うように私は本来ひとりで好くのが好きなんだけど、だけどラッキーなことに分かり合える価値観の友達もなぜかいつもそばにいて語り合うことができている、べつに友達いらないと思うのは当たり前に友達がいるという恵まれた人生だったからで、音楽を他人とわかち合いたいと思わないのも当たり前に分かり合えていたからなんだろう、もし何も持っていなかったら、それにどんなに憧れたことかわからない

歌を聴いたら「カーテンくいつくす明かりのせいだ」と聞こえていた歌詞が、歌詞カードを見たら「カーテンくいつくす赤アリのせいだ」だったことを知ったときチバのセンスに胸を掴まれて惚れない思春期の女はいなかった

もちろん暴かれた世界とかリリィとか好きだけど、チバの真髄としてカーテン、太陽を掴んでしまった、惑星にエスカレーター、発光 あたりが超絶に好きなのは やっぱりチバにしか表現できない孤独の世界だからだと思う 仲間たちと青春して騒いでスモーキンビリーしてるのもかっこよかったけど、ひとりきりで終わりを思うチバに何よりも美しさを感じていたのだろう 

ミッシェルもROSSOも最初はイケイケゴリゴリロックンロールサイコーイェー!って感じに始まって終末期に太陽を掴んでしまったとか発光みたいな内向的な神曲出してバンドが終わるのほんとにチバって感じだし終末期最高でしたありがとう

もう大好きな煙草を吸えないチバを思って100年ぶりにチバの愛した煙草を吸ったらすっかりクリーンに仕立て上げた身体にはひとくちで肺にずんと重く、脳の酸素が足りない感じ、でも懐かしく青春の味がして、こんなもん一日2箱とか吸いまくってたらそら55で死ぬわ、多分貧乏人が100歳までかけて吸う量飲む量を55年のうちにギュッとやりきっちまっただけで後悔ないぐらい吸っただろうし、チバにとって音楽も、人生も、そうであればいい と思った

芸術は死にたさを美しさで肯定してくれるから好きだ

そりゃそうだよなあ、と久々に煙とともにそんな気持ちを吐き出した

櫻井さんのことは何故か今だに音楽も聞けないほど無理なんだけど、チバの死はなんかこっちも悲しみに向き合おうとした結果酔っちゃってるねごめんね、でも多分さチバもそう望んでるんじゃないのかな 自分が死んだら、気取った酒でも飲みなながらチバの音楽聴いて吐き気がするほどロマンチックな気分になってほしいんじゃないかな 知らないけどそんな気がするんだよね 

煙草に600円も払って無駄なもの、と思うけど無駄なものにこそ価値があるんだよな しかし高えな

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