仕事休んじゃった
ギリギリまで考えたけど、あまりにも憂鬱な感情に支配されてしまい、急遽仮病を使い休むことを決めた。
仮病と言っても自分からしたら(精神的に)体調は悪いので、迷惑はかけても悪いことをした訳ではない、と自分に言い聞かせる。
振り返ればここ一年頭から仕事のことについて考えなかった日なんてほぼなかった。まだ入って1年目の業界ではあるから当たり前ちゃ当たり前かもしれないが。あまり残業がない分帰宅した後は仕事の振り返りとカンファレンス等イベント事の計画を寝るまでしていたし、休日はそれに加えて教科書を開き勉強に充てていた。その甲斐なのか代償なのか週の半分は仕事している夢を見るようになったし、仕事以外の拠り所がなくなっていた。
そしてつい最近、職場内でクラスターが発生してしまい、勤務形態が大幅に変わった。いつも関わっていた患者様から離れ、代わりに感染していない別の患者様を自分が補填するようになった。
それまでは仕事中心のストレスフルな生活の中でもやりがいを見出しなんとか己を保っていたが、それを境に抑うつな状態が続くようになり、文字が読めないほどではないが明らかに頭の回転が遅くなった。パソコン作業も同じ画面を1分以上眺めててなかなか次に進まなかった。患者様と対応している時もなんとなく上の空だった気がする。
ASDの特徴にこだわりに強さや環境の変化の弱さについて挙げられたりするが、振り返って見ると自分の中でルーティンやパターンを固定化させすぎた故、予測外の状況に出会した際に受け入れる余裕がなくなっていたんだと改めて気付かされる。ある時職場の同期に言われたこと「(心的状態を)守るために自分を固めて外乱にビクビクするより、いつでもかかって来いや!とフラットな構えでいた方が楽よ」。確かにその通りだ。きっと非ASDならば心に余白を作った上でルーティンは持ちつつ、その時々の状況に応じて余白を使って環境に適応するものなのだろう。
そしてその余白を作るための一助となるのが、仕事を忘れさせてくれる趣味やアクティビティなのだろう。ライフワークバランスの不釣り合いがこの状況を引き起こしたのは明白だ。
せっかく没頭できると思ってミラーレス一眼を買ったのに、部屋の隅に置いたままじゃ意味がないじゃないか。家が職場の近くだから日中は外に出にくけど、明日は元から休暇だから、夜になったら夜景撮りにでも出かけようかしら。