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必死さの味 グラノーラ

グラノーラが好きだ。バリバリしていて、甘くて、ちょっと苦くて、栄養がありそうなところ。カロリーも高そうだから、食べたあとは運動したいような気持ちになるところ。

好きすぎて、販売許可を得て、自作したものをネットショップやマルシェで売っていたこともある。
その頃自分が運営していたネットショップは「無添加」「グルテンフリー」が文句だったので、その条件はクリアしていたのだが、作っていると、お客様にはちょっと言いにくいようなことも出てくる。
たとえば、美味しいグラノーラには信じられないくらいたっぷりの甘味とたっぷりの油分が含まれていること。
主である材料のオーツは確かに栄養豊富でカロリーは低く食物繊維が豊富で素晴らしい食材なのだが、それを、商品として美味しいと感じてもらうレベルにするにはそのオーツと同量かそれ以上の砂糖と、同じだけの量の油分を入れる必要があった。
まあ、その美味しいものでコーティングしたグラノーラは美味しい。油分でバリバリするし、砂糖が溶けて絡んで周囲のナッツやドライフルーツとくっついたものを全部一緒に口に入れたら、外国気分すら味わえる。

あの頃、狂ったようにグラノーラを自作していた。消えそうになる何かを必死に繋ぎ止めるように。もう無くなった記憶を無理に引き出そうとするかのように。

徒歩圏内のスーパーに20以上もの種類のグラノーラが並ぶアメリカに来た今、私のグラノーラ欲は落ち着いている。食べてもいいけど、食べなくてもいい。
食べると、これは油分を抑えすぎて美味しくないな、とか、砂糖じゃなくてシロップを使っているなとか、分析しながら冷静に食べて、その後運動する。
私にとってグラノーラは、今や好きなものの一つではあっても、もう狂気の矛先ではない。

グラノーラ狂だったのは、思えば、普段作る食べ物は離乳食と幼児食というのがもう5、6年続いていた時期だった。
柔らかくて薄味の、自分の好みとは無関係なものを他人のために作り続ける毎日。それはそれで使命感に燃えて幸福な時間だった。
でもその中で唯一自分のために作っていたのがグラノーラ。
まだ、自分が作った小さな命の責任を負わなくてよかった頃に食べていたものの味を追い求めて。

きっと私はそれを分かち合える大人の仲間を探していたのだろうと今振り返る、孤独で狂おしいママ時代。

バリバリの(日本でよく見かけるふわふわのパフ入りのじゃなくて)グラノーラの記憶は、そんな、必死さと結びついている。

Makiko



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