岩切章悟のオオカミとドキュメンタリー映画「オオカミの護符」
ツォモリリ文庫での岩切章悟の個展「Buen viaje|良い旅を」は、「オオカミを描こうと思う」という画家の宣言から始まりました。
「うんうん、描いて、描いて!」。待ってました! この画法に出会って4年。お願いし続けてきたのだもの。−とんでもなく時間のかかる画法だと知ったのはあとのこと−
モチーフには様々な存在理由があると思います。作家は細かいことを考えて作っているわけではないし狙っているわけでもない。そこは見る人に委ねられている部分なのだと思います。だからアートは楽しいのだし。
私の場合は、ツォモリリ文庫の上映会でドキュメンタリー映画「オオカミの護符」を見たときに、このためにこの作品があったのだとストンと落ちてくれました。御嶽山や三峰山に霧がおおいかぶさる映像を見ながら、視界0メートルの霧の中、木々を縫うようにオオカミが走る姿が思い浮かびました。峻険な頂きを駆け上がり、駆け下りる流線形のフォルム。獣の重量感を十分に備え、毛並みをゆっさゆっさと揺らす獰猛なオオカミのビジョンが頭の中をいつまでもぐるぐると回っていました。森で遭遇したら怖いだろうな。
同時に、この展覧会で描かれている熊にしても、フクロウにしても、それらは食物連鎖の頂点にいる王様であり、その使命を担うバランサーでもあるのでしょう。
映画に登場する壮年のお百姓さんはいいます。オオカミが仲間と呼び合う声や、お産の痛みから発する遠吠えが、猪や鹿をおびえさせ、獣害を防いだと。彼らはその声を崇め護符という形にしました。そして護符は山の人と里の人がつながるツールでもあったようです。
「オオカミの護符」を見ていて、インドの先住民ワルリ族の青年が、虎神様に祈っていた姿を思い出しました。「ちょっと待ってて。今日は祈る日だから」と、小さなほこらの中でひざまづき、手を合わせ、さっと出てきました。私たちの暮らしにはない作法に敬意を覚えました。
「オオカミの護符」は14年前に完成した映画。儀式は今も続いているのでしょうか。大切なのは儀式よりも、私たち人間も「生かされている」という気持ちだったりするわけだけど、でも儀式にしないとヒトはすぐにそれを忘れてしまうから、儀式である必要があるのかもしれない。
ともあれ、人間がこの世界を支配しているという感覚はそろそろやめなくちゃいけない、と、長年ワルリ族と関わってきている私たちは思っています。人が人を支配したがったり、自然を我がものと勘違いしたりといったマインドがいま、世界を狂わせているし、その現実にたくさんの人が心を痛めている。だからせめてこのオオカミの存在をたくさんの人に届けたいと思っています。たくさんの子どもたちにも見せたいな。このオオカミの背に乗って森を駆け抜ける妄想なんかもどんどん膨らませてほしい。
ツォモリリ文庫はおおくにがアートディレクションしているギャラリーです。
ツォモリリ文庫
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