【小説】 変える、変われる。 : 3
土曜日の午後から、絵本を置いて出掛ける生活がゆるゆると始まった。
しかしそこは幼児の気まぐれ。
初めての場所へ行くのに急にためらいとグズりが入って「次から行く」の面倒なコールがスタート。
母が機嫌を取るために「ほら同じだよ」と「こぐまちゃんのほっとけーき」の絵本の横に焼き立てのホットケーキ、冷たい牛乳が苦手なところを「生ぬるく」温めてみたり。
おねえちゃんが帰って来るまで「絵本を読むから行かない」「おねえちゃんが習字が面倒と言っていた」と秘密の暴露を織り交ぜてグズり続けているところへ、おねえちゃん帰宅。
おねえちゃんもラッキーなホットケーキでニンマリしたところへ「習字めんどくさいの?」と母の空気読まずの問いかけに、「そんなことないよ、あんた、習字行くの楽しみにしてたじゃん」の小睨み一発で撃沈。
最後の抵抗「ダラダラ食い」も虚しく、おねえちゃんに習字教室の道中にブチブチ小言を言われながら通うことになった。
習字教室はおねえちゃんと同じ小学生が数人通っていて、先生も真剣に教えるというよりは、子供の集う場所の延長のようなユルさだった。
幼児のお題はぼんやりした記憶だと、二文字くらいで「そら」とか「いけ」とそんな感じ。
自分が筆の持ち方や半紙・下敷き・文鎮・硯の名称と使い方、お習字をレクチャーされている間、視界の端でおねえちゃんが、先生の本棚からちゃっかり女性週刊誌を取り出して、熟読中。
自分に付きっ切りの先生をチラ見しながら、指導が終わるか終わらないかの絶妙なタイミングでおねえちゃんは雑誌をサっと仕舞って、2~3枚パパっと書いて「先生出来ました~♪」と提出。
先生も「この跳ねは良いわね」なんて褒めている会話を横で聞きながら、幼児の頭でも「全然練習していないのに?」と思ったりはしますが、空気を読んでフンフンうなずいて見つめます。
おねえちゃんも満足気な感じの小一時間で帰宅。
帰宅するとちょうど15時からの再放送のドラマを母とおねえちゃんと三人でオヤツをだらだら食べながら鑑賞が定番。
昔のドラマは幼い頭に焼き付く、結構なエログロが多かった。
急に頭に包丁が刺さったり、話に脈略なく急に爆発してみんな吹っ飛んでしまったり、何が何だかである。
ドラマの筋も結果も覚えていなくても、合間のコマーシャルは分かりやすいから覚えている。
特にテレビ通販は当時から怒涛の勢いで、凄まじい量の洋服をかけてグルングルン回しても頑丈なハンガーが、油断すると今ならお値段同じでもう一台とか、いまも安定の高枝切鋏にドンドンおまけが追加されて最終的に13点セットまで登りつめ、母が「踏み台だけ欲しい」なんて鋏じゃないものを欲しがってみたり。
いまも案外似た同じテイストの商品が流れている中、特に記憶に残っているものがある。
「大正琴」だ。
他には聞いたことの無い、軽いけど思いっきりにビンビンな音色の電子音。
着物の女性が物凄く真剣に弾いているのに、口元が緩んでしまう曲調だったことを覚えている。
押入れを激しく有効活用する収納プラスチックタンスが、数か月ごとに同じ物がおまけとして増殖してくシステムも当時は「少し待つとたくさんくれる」と脳裏に刻まれている、2時間ドラマの女性がたくさん露天風呂に入っている映像と共に。