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大人の階段・・どころか、ロッククライミングだろうが!

勤めていた会社が清算会社となったり、「やってらんないんじゃ、ぼけぇぇ」といった感じで辞めたりと、自分は10回転職しています。

今考えると勢いがあったなぁとしみじみ。

今の会社は起業していますし、血気盛んでした(まるで他人事)。

最初の会社と今の仕事(ひとり親方状態の会社)だけが3年以上続いているので、色々ありながらもスタートと〆は長いのかも(希望)。


ま、そんな感じで他の8社はどうなの?


他の8社もそれぞれ面白く、最短勤務が4か月、一番長くて1年ちょっとだったかな。。 みんな濃密な時間でした。

そんな中の最短勤務会社は書くとバレちゃいそうなので、微妙に濁しつつ、話の種に事欠かない業界。辞めてから転職した先の取引先と少し仲良くなって話をする際に、触り程度に「業界名」を口にするだけで、相手が確実に半身または、一歩グイっとこちらに「ナニナニナニ??」っと踏み出してくる、そんな会社でした。相手が女性でも目を輝かせながら、時には笑い悶絶して後頭部を座っている後ろの壁に打ち付けている方もいました。みんな、「好き」ね、そんな感じ。


その会社では自分を営業事務で採用してくれましたが、実は経理も任せたかったようでした。

経理の道へ行く前に、在庫管理やら広報やら制作やら浅く広く、自分の手が空いていれば各部署でヘルプマンとして駆り出され重宝されていた様子。

自分のホントの業務「営業事務」を約1か月で無理やり独り立ちさせられて、そこからあっちこっちと大忙し。

物流倉庫へ棚卸に連れていかれては、不良在庫の選別をしたり(試用期間中なのに斬新)、扉を開けて一歩足を踏み入れた瞬間“ヤバい雰囲気に満ち満ちている”取引先へ書類を持って行かされたり。ああ、懐かしい。。


そんな会社は思い出すと入社当時から刺激過多で面白かったのですが、当時はあまりにも激しい業務の詰め込まれで、3か月の試用期間終了を迎える頃には退社時間は殆んど毎日終電間際。

自分の仕事以外も何故か掛け持ちしていたので、土日に出勤することもしばしば。なかなかのブラック。

仕事を覚えきれないのではなく、「TSN君は出来るから、大丈夫!」というナゾの誉め言葉で仕事を次々と畳みかけてこられました。

自分:「今の仕事もまだしっかり出来ていないので、少し待って下さい」

先輩:「大丈夫、大丈夫、TSN君は出来てるし、出来る♪」


徐々に追い込まれてきていた、そんな時。

何かで耳にした「KICK THE CAN CREW」の「アンバランス」

あまりラップは聴く方では無かったけど、もうーーーー、とにかく歌詞がグサグサというよりもザクザク突き刺さって来る感じ。

この会社にこのままいたらメンタルも身体も「やられる」かも・・どうしたら良いのかと思っている時だったので、このままやられていくより、逃げるというか「好きにやるわ」といった気持ちで出勤時は自分を奮い立たせるように「マーーイアンサーナンバーーワンッ!!」とヘビロテで聴きながら通勤していました。

同僚からは「もう少し我慢したら、マシになるから」と慰められ、引き留められていましたが、もう限界。

社長面談の時に「仕事詰め込もうとしすぎ、先輩(社長の身内)の強引さが酷すぎる、何で少し待ってくれない、なんだあれは??」とキレてしまいました。社長は逆切れで「勝手にしろ!」となり、あっけなく社員登用された1か月後に退社しました。

出社最後の日は挨拶もさせてもらえない嫌がらせを受けましたが、実に懐かしい思い出です。今は先輩の切実な事情(ちょっと書けない)があったので、急いで自分に仕事を引き継ぎたかったとわかりますが、何せ仕事量と範囲が広すぎでした。


話があちこち飛びましたが、歌に背中を押されたという話を書いたつもり。

当時20代後半くらいで、若くはありませんでしたが、軽そうに見えて意気軒昂、それでいて状況を俯瞰で見ているような歌詞にグっと来たんだと思います。


今なら我慢していたかな・・

我慢していたら、続けていた仕事で会社だったかもしれません。

・・が、過去で終わった話ですからね。

過酷だった経験に無駄はありません。


なぁんて、大人になったものです。

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