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生まれて初めてお月さまを観た話
私の夢は…
「必要最小限の物に囲まれたお家で、お日さまの出ている明るいうちは制作をして、日が暮れて暗くなったら、夜空の星を数えて繋いで深呼吸をして、夜が更けたら眠る」
そんな生活をすることだ。
先日、夢を叶えるために念願だった天体望遠鏡を買った。
届いた日の夜、急ぎ足で夜ご飯を食べ、用事を済ませた。
うっすらと雲はかかっているものの、真っ暗な夜空に光るお月さま。
満月からは数日経っていたこともあってまん丸ではなかったけど、それでも肉眼では「ほぼ丸」だった。
まだかまだかと、お月さまもこちらを見ている。
説明書を読みながら届いたばかりの望遠鏡を、震える手でなんとか組み立てる。
浮き足だって、ドキドキとした高揚感で心臓が口から飛び出しそうだった。
あっという間に組み立てが終わり、早速説明書の通りにお月さまに照準を合わせる。
ドキドキしながらレンズに目をやるが、真っ暗で何も見えない。
「おかしいなぁ…やり方は合ってるはずなのに…」と何度も何度もやり直す。
結果、望遠鏡のレンズカバーを装着したままだった。
舞い上がり過ぎ。一旦、落ち着こうか、自分。
一人ツッコミを入れながら、深呼吸をしてレンズカバーを外す。
再び、深呼吸をしてレンズを覗き込んだ。ドキドキと心臓の音がするのが自分でも聴こえた。
何やらぼんやりとした丸が見える。
「ふわぁぁああぁあぁぁ!!!」
と、言葉にならない言葉を叫んだ。
震える手を押さえながら、ぼんやりとしたお月さまにピントを合わせる。
「お月さまだぁぁあぁぁ!!!」
何度も何度もレンズを覗き込む。そこには確かにお月さまがいる。
子どもの頃からずっと観たかったお月さま。
クレーターも、ウサギの餅つきだと思っていた柄も、この目でハッキリと確認できた。
「やっと会えたね!」という気持ちで胸がいっぱいになった。
涙で目に写る画面が歪む。何度もその涙を拭いながら、感謝の気持ちとまるで憧れの人に会ったかのような興奮状態だった。
何度も何度も写真を撮り、宝物のように見返す。
晴れた日は寒くても、できる限り最強の防寒対策をして空に向けた天体望遠鏡を覗く。
雨や曇りの日は、スマホの写真フォルダに収めたお月さまや星たちの写真を観ながらインドア天体観測。
様々な過敏さを持つ私は、生きていくだけでも常に頭は砂嵐状態。
そんな私でも、天体観測をしている時と制作をしている時だけは目の前のことに集中できていることに気がついた。
天体観測をしていると、嫌なことが忘れられる。
宇宙と自分が一体化するような気持ちになって、どんな悩みも小さく思えるからだと思う。
大学生の頃、つらいことがあると決まって琵琶湖のお気に入りの場所へ自転車を走らせた。
誰も来ない、自分だけの居場所。対岸には湖東の夜景が見えた。
国道161号線からも少し離れていたからか、車の音もほとんどしなかった。
そこにあるのは、波の音と風の音と草木が揺れる音だけ。
真っ暗闇の中に一人で座って波の音に耳をすませると、自分自身と琵琶湖が一体化するような感覚になった。 そんな記憶が蘇る。
いつも自然が私の心を救ってくれていたように、これからは天体観測で出会う惑星や星たちが私の心を救ってくれるのだろう。
心の拠り所が増えると人は強くなれる。
決して強くなんてならなくてもいいけど、「自立」という意味の「しなやかな強さ」を私はいつだって求めている。
写真は、私が初めて撮影したお月さま。
3万円のスマホのカメラでは、これが限界みたい。
もっと高価な機材を用意することも、もっと撮影の技術を磨くこともできるだろうけど、今は純粋に天体観測を楽しみたい。
私の目はもっともっと美しいお月さまと出会ったのだから。