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「幸せのカケラ」を集める

私は「感受性が強く視覚や聴覚などの感覚が敏感で刺激を受けやすい特性を生まれつき持っている人間」だ。
光にも音にも匂いにも味覚にもストレスを感じながら生きている。
小さなことで感動もするし、小さなことにも傷つきやすい。
ずっと神経質な性格なんだと思ってたけど、大人になってそれが性格の問題ではないのだということを知った。
そう、いわゆる「HSP」だ。
40年以上生きてきて、サンドバッグのようにボコボコに打ちのめされることもあったけど、それでも逞しく、自分なりのやり方で生きてきた。
振り返って思い出してみても、どうしてあんな状態で生きていられたんだろう…と思うこともたくさんある。
過去の自分が頑張って踏ん張ってくれたおかげで今の自分がここにいる。
過去の自分、ありがとう。本当にありがとう。

刺激に敏感な分、心がカサカサすることも多い。
反対に「小さなことにいちいち感動できる」というラッキーな特性も持ち合わせている。
だから、毎日「小さな幸せのカケラ」を集めている。
どんなに辛いことがあっても、どんなに苦しいことがあっても、集めた小さな幸せのカケラを見ていると安心したり「よし、また頑張ろう」と思えるのだ。
問題の渦中にいる時は人間はネガティブになって自分を見失いやすい。
30代半ばの頃、自分が「問題の渦中」にいることを自覚できるようにはなったものの、それでもやはり心がカサカサとすることもあった。
そこで、今年の3月1日から「幸せのカケラ」を記していくノートを作った。
どんな小さなことでもいいから、私なりの幸せのカケラを記していくノートだ。

随分と昔の話になるが高校生の頃、スケジュール帳を持っていた。
スケジュール帳の後ろに日記が書ける小さなスペースがあって、そこにその日にあったことを小さな字でギッシリと綴っていた。
そこには、思春期の私が抱えていた苦しみがたくさん綴られていた。
当時、家庭内での問題もあって、未成年の私には到底抱えきれないほどの苦しい毎日だった。
そんな日記も、いつしか書くことをやめてしまっていた。
理由はただひとつ。

「私が死んだ後、誰かにこれを見られたくない」

その時から、私個人の記録としての日記を書くことをやめた。
心の中だけに留めておこう、というスタンスに変えたのだ。
人間というものは忘れていく生き物だから、過ごしてきた日々のことを忘れていくことも自然なことだ。
だけど、そんな時に発動する「HSPの特性」である「嫌なことはいつまでも鮮度の高い状態で覚えている」ということがネックになった。
もう何年も前の出来事だとしても、まるでついさっき起こったことのように思い出してしまい私を当時の精神状態に引き戻すのだ。
そんな時に私の心をニュートラルな状態に戻してくれるのが、「幸せのカケラを記していくノート」の存在だ。
つい最近も私一人では抱えきれない問題とぶち当たった。
友人たちに話したり共感してもらったり助言をもらったりしながら平常心を保とうとしているが、全てが解決するわけではないし、人様の貴重な時間を使って支えてもらおうというのもなんだか申し訳なさが残る。
そして、何よりも「自分のご機嫌は自分で取りたい」という想いもあって、「幸せのカケラを記していくノート」を読み返してみた。
3月1日から書き始めたので、そんなにたくさんの「幸せのカケラ」は書いていない。
それでも、そこに書かれた「幸せのカケラ」は確かに自分が体験したことなのだ。
内容を読むと、まるでついさっき起こったことのように思い出せて私を当時の精神状態に戻してくれるのだ。
ほら、HSPで良かった。

「嫌なことはいつまでも鮮度の高い状態で覚えている」

「嬉しかったこともいつまでも鮮度の高い状態で覚えている」

「幸せのカケラを記していくノート」のおかげで自分で自分のご機嫌を取れる機会が増えた。
これも立派な「生きていく術」なのだ。
こうやって人間は逞しく生きていくのだ。

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