【読書記録⑬】モモ 時間どろうぼうと ぬすまれた時間をとりかえしてくれた女の子の不思議な物語
■基本情報
タイトル:モモ 時間どろうぼうと ぬすまれた時間をとりかえしてくれた女の子の不思議な物語
著者:ミヒャエル・エンデ作 大島かおり訳
刊行:1976年9月
出版社:岩波書店
カテゴリー:小説
読んだ月:2022年1月
歴史的なファンタジー、40年以上も前に書かれた現代にも通ずる風刺作品
モモという浮浪者が本作の主人公。アンフィシアター(円形劇場)という地面に掘られ、周りに石段を積んだ、今となっては使われていない劇場の横穴でひっそり暮らしていました。
モモは人の話を聞くのが好きで、多くの人がモモのもとに集まり、話をすることで楽しんだり、落ち着いたり、仲直りしたりする不思議な力を持っていました。
時間どろぼう(灰色の男たち)は、人々に時間の無駄を言及し、時間の節約をさせることで時間を奪っていきます。
モモが周囲の異変に気付き、時間どろぼうと戦おうと奮闘していきます。
いくつ面白かったシーンを振り返っていきます。
他人の価値観に決められていく美容師のおじさん
時間貯蓄銀行から来たという灰色の男(時間どろぼう)は、「おしゃべりとせっけいんの泡とに、あなたの人生を浪費しておいでだ。死んでしまえば、まるであなたなんかもともといなかったとでも言うように忘れられていまう」と言い、仕事、睡眠、母の介護、友人との時間を節約すべきだと持ち掛けています。
誰もが持っているいちまつの不安を拡大して、言いくるめる手法は、詐欺師のそれのように上手い。美容師のフージーは自分自身の価値観(楽しくおしゃべりしながら髪を切ること)を捨てて、灰色の男の話に乗ってしまいます。結果として、雑で効率的な仕事をするようになってしまいます。
お調子者の観光ガイドのジジ
ジジは観光地ででっち上げた話を披露して、人を笑わせることでお金を貰っている(これは観光ガイドなのか?笑)
もとから夢想家で夢見がちなジジですが、時間どろぼうに会い、テレビやラジオにも引っ張りだこになり、秘書も何人もいる状態になります。貧乏だった時代のジジは、空想する時間がいっぱいあり、自由に富んだ面白い話を周囲にしておりましたが、お金持ちになったジジは社会に求められる作品を作るばかりになり、自分自身の面白さや考えを見失っていきます。
モモと会うことでどうにかしないと、と思うもの今の暮らしを捨てきれない、という人の弱さや、社会や会社の中で働く1人の人間として、通じるものがあった。
盲目的に働く小市民
モモ、ジジ、ベッポを中心として、子供たちが時間どろぼうの現状を大人たちに伝えるデモ行進を行います。しかし大人たちは全く見向きもしません。正に社会の中で盲目的に働くことが良しをする市民たちを映し出していました。
特に居酒屋を運営していたニノは、いつも来てくれるだが単価が見込めない常連客を追い出し、最終的にはお客様とのコミュニケーションがないファーストフード店を運営することになる。生産性や効率を求めて、働くことを象徴していた。
イケメンな道路掃除夫のベッポ
この作品イチのイケメン(カシオペアと同じくらい)。ベッポだけは、貧しいながらも街をきれいにする自分の価値観に基づき、道路掃除を行っていました。通り過ぎる人々を見ながら、いち早く異変に気付き、お調子者のジジが勢いだけでデモをしようとした時も冷静に動くべきだと、落ち着いた判断を取りました。寡黙でしゃべり下手な男ですが、人情味あり、素敵な男です。
僕らの時間とは…
本書が描かれているのが戦後、資本主義で自動化、オートメーション化によって、世界経済が大きく拡大していった時期だと思う。人々の中で時間やお金というものの価値観が、”効率化”にシフトしていった時代の流れを風刺的に描いている。効率的であることが正義だった時代ともいえる。
一方で現代は、SNSを見ると、仕事もして、おしゃれなレストランで食事をし、リゾート地に旅行へ行き、高い車を乗る人ったキラキラ人達を取り上げられて、youtube、NETFLIX、メタバースなど、エンタメのプラットフォームがおススメのコンテンツが表示される。自分自身の価値観を持たずとも、「これいいですよ」と言われ続けている気がする。
決して資本主義反対や格差社会をどうにかしたいと思っているほど、私自身は大層な人間ではないが、自分の幸せ(価値観)を見付けることが難しくなっている時代だな。様々な口コミが良いものを選定してくれて、それを消費することがよいことなのだろうか。自分自身の価値観を持って生きていきたいなと強く思う作品だった。これが年始の1冊目