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アンチエイジングに抗う、アラフィフの狼煙

今月、45歳になった。この数字の一の位で四捨五入すると、50だ。「四捨五入して五十代」になった。もうそろそろ、いい加減、いい大人である。齢の重ね方について、少し考えてみたい。目指すのは「アンチエイジング」ではない、「ウェルエイジング」だ。

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果たして、今の僕は20代の頃に思い描いていた大人になったのだろうか。そう自らに問うてみようものなら、秒で「NO」と答える。

20代の頃に思っていた大人とは。動じなくて、落ち着いていて、しっかりしていて。メニューを開いて金額を見ること無く注文するのが大人だと思っていた。

しかし、今はどうだろう。動じるし、一喜一憂してくよくよするし、いろんな感情が渦巻く。相変わらず、メニューを開いて最初に探すのは、それが何かではなく、それがいくらかだ。

もうそろそろ、描いていた大人になることを、諦め始めている。いや、認めて言葉にしている時点で、諦めたのかもしれない。

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先日、ちょっと思うことがあって、僕の似顔絵を描いてもらった。それを見て感じたのが、「自分が目指しているのは、アンチエイジングじゃない」ということだ。

その似顔絵のラフ画は、まさしく今の自分自身だった。強く印象に残ったのが、額に入った横皺だった。僕は、目が細く、額が広い。細い目を開くと、額に横皺が目立つ。高校や大学の頃、それが老けて見えて、本当に嫌だった。しかし今、昔嫌いだった横皺を、受け容れていることに気づいた。

ああ、これが今の自分なんだ、と。

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アンチエイジングというと、目立ってきた皺を目立たなくするとか、「いつまでも若いままで」という願いなんだと思う。「いつまでも、好きな自分でいたい」のような願いなのだと思うし、それはとても尊いと思う。

しかし、僕は、経年の変化を受け容れたいなと思う。時として、それは進化かもしれないし、退化かもしれない。どうであれ、変化だ。よく齢を重ねていきたい。

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今朝、目黒川を歩いていたら、桜の葉が色づいてきたのを見た。「秋」の語源は、葉が色づく「あか」と聞いたこともある。

若葉が濃い緑になり、そして色づき、落ちていく。その変化は自然の摂理なんだと思う。若葉が若葉のまま、冬を越すことはない。

自然の摂理といえば、人間37兆の細胞は常に入れ替わり続け、4週間でそっくり変わるとも聞いたことがある。・・・とすると、生まれ変わりながらエイジングしているのか?

もはや、よく分からなくなってきた。が、問いを持つことは、面白く生きるのに大事なことなのかもしれない。そう思いながら、木々を眺めている。

今日も佳い日で。




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