最初の上司に退職を告げた夜、飲み屋のトイレで「ごめんな」と言われた追憶
昨日書いた note を読み返すと、私が社会人になって最初の上司との思い出が蘇ってきました。どうやら今も、私の中に彼がいそうで、綴ってみます。
働き方も生き方もそれぞれ。だけど、上司って何でしょうか。昨日の note と併せて読んでいただけると嬉しいです。
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前述の note で、彼が一瞬だけ登場するシーンを引く。
「いや、あいつは大丈夫です」と言った人、それが私の最初の上司。
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とにかく声が大きくて。会社と闘い、現場が好きで、情に厚くて。会議の合い間に作業スペースに来て、空いている椅子にドッカリ座ってブツブツ言う。大抵は会議のグチとか、事務作業が面倒とか、昨日飲みすぎたとか。時折「がはは」と笑い、気の利いた一言もなく、フラッと帰っていく。
そのくせ、何かトラブルが起きた時には他人事にせず、自ら矢面に立つ。取引先からの集中砲火も厭わない。現場を信じ、現場を守ることを、貫き通した人だった。「仕事をしない」という仕事をする人だった。
私は、前述の note で、こうも綴った。
その承認欲求の正体は、「彼のようになりたい、彼のように生きたい」という気持ちだったのかもしれない。もしかしたら「憧れ」「ロールモデル」に近いのかもしれないが、そんな小綺麗な質感ではない。まったくない。
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私が、世界30万人大企業に新卒で入社し、東日本大震災をきっかけに、創業4年目100人スタートアップに移ったのは、先の note のとおりだ。「移る」の中で最もエネルギーを割いたのは、「退職」だった。始めるのは何度でもできる。閉じるのは一度きり、今しかない。
そして、退職の階段を上がる時、最も大切にしたかったことは、彼への報告である。相談でも連絡でもない、報告だ。
お世話になった愛すべき彼に、「私は、この会社の船を降ります」と伝える。どう伝えたらいいのか。
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私は、何年かぶりに、彼にメールを送った。「今、やりたいことがある。それは、どうしてもこの会社じゃできないことなんです。退職します」そんな内容を、何時間もかけて書いた。そして、飲みに行く約束をもらった。
酒の席では、相変わらずだった。ウイスキーの水割りの作り方が何年経ってもヘタクソだと私に怒号を飛ばし、鍋の中身もカセットコンロも触らせない鍋奉行っぷりも健在だった。「お前はもう俺の部下じゃないから、勝手にしろ!」と言い放つ姿は、彼と出会った時のままだった。
帰り際、トイレに立った。( お食事中の方、数行だけ失礼します)
男子トイレの光景だが、立って用を足していると、彼が横に立った。そして、独り言のように、でも明らかに私にこう言った。
「ごめんな、今まで、やりたいことを、やらせてあげられなくて」
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あの時、どんな気持ちだったのだろうか。矜持、信頼、愛情・・・いや、すべては私の憶測だし、私には分かりようがない。もっとも、今さら彼に尋ねる機会があったとしても「呑んでいて覚えてない」と言うに違いない。
別に、あの時の気持ちを因数分解して明らかにしたいわけではないのだが、昨日の note を書いていて、彼のことを久しぶりに思い出した。
そして今も、私は心のどこかで「彼のように生きたい」と思っている。その「心のどこか」は、かなりコアに近い部分だと思う。またひとつ、面倒なことを思い出してしまったものだ。
フリーランスになった今、私はもはや、誰かの上司になることはない。そのくせ、彼のように生きたいとも思う。コーチとして「はじめて上司になった人」に伴走したいという想いは、そこにもつながっている。