誰かの母校になる「オルタナティブスクール」の仲間と本棚へ、本屋の利益を充てると決めました
神保町のシェア型書店 PASSAGE SOLIDA の2階で、幅56cmの小さな本屋「ちいさなとしょしつ」のオーナーとして声に出します。お買い上げ1冊ごとに200円を、オルタナティブスクールの仲間と本棚へ届けると決めました。そのきっかけや、100円玉2枚に込めた想いを綴ります。
「ちいさなとしょしつ」のコンセプトや蔵書については、こちらの店舗ページをぜひご覧ください。
教育の現場経験が無い僕にとって大事なコミュニティ、「先生の学校」
コーチングを生業にしている僕は、学校の先生など教育に関わる方にコーチングを届けたいという熱があります。2100年を生きる人が、「自然に生きる、自然と生きる」であってほしいという願いから、「子どもにいちばん近い大人」である方に関わりたい、と。
以前、「学校の先生に、コーチングを届けたい」というnoteを綴っていました。今も想いは変わらず。
教育の現場経験が無い自分が、現場のことを知るには?感じるには?と思っている中で出会ったのが、「先生の学校」というコミュニティ。教育に熱を持つ方々が情熱や意見を交わす場であり、僕は勝手に、コーチングとの血縁関係のようなものを感じています。
そして先日、そういった皆さん数十人と一緒に2日間の合宿形式でミートアップする「先生の学校 Gathering Day」に参加してきました。
その時間の中で、教育現場の声を聴いていくと、僕は「オルタナティブスクール」に大きな思い込みと誤解を持っていた事に気づいたのです。それは、本当に大きなショックでした。
オルタナティブスクールへの誤解。居場所なだけじゃない、誰かの母校なんだ。
「オルタナティブスクール」という言葉を、前から知っていました。学校に足が向かない子どもたちが、過ごす場所。人間関係を分かち合い、学ぶ場所。僕はそう捉えていました。
一方で、その認識を入口として捉えたときに、「いつか学校に戻ってゆくまでの居場所」と無自覚に思い込んでいたことに、自覚的になりました。
同時にそれくらい、今の教育システムが何の疑いもなく、自分にインストールされていることにも、自覚的になりました。
ある方との対話の中で、その「いつか学校に戻っていくまでの居場所」という視点が、ガラッと覆されました。その瞬間を、はっきりと憶えています。
そして伝わってきたのは、「オルタナティブスクールは、居場所なだけではない。母校なんだ」ということ。
そこは、誰かの母校になるんだ。
コーチで本屋の自分には、何ができるだろう?
僕は熱を持つ人に共振すると、とことん全力で応援したくなります。なんの呪いか因縁か。しかしもはや、どうでもいい。
いつも、「子どもたちのそばに、本があってほしい」と願っています。
それは、絵本でも児童書でも、漫画でも、図鑑でも、なんでもいい。本は、自分を映す鏡になる。自分の世界を味わうきっかけになる。必ず。本の力を信じています。
そう思ったときに、オルタナティブスクールに本を贈りたいと思いました。しかし。本屋である僕が、本当にやりたいことって?何か方法がある気がする・・・
そうだ。本屋の販売利益を、オルタナティブスクールの仲間と本棚へ届けよう。そう決めた瞬間、自分への約束を不可逆にするため、Xでこうポストしました。
「ちいさなとしょしつ」1冊お買い上げごとに、200円を届けます。
僕がオーナーをつとめる本屋「ちいさなとしょしつ」の新しいミッションです。
幅56cmの小さな本棚ながら、開店以来10ヶ月で、70冊を越える本をお買い上げいただきました。販売価格は200円から2,000円台まで様々で、本屋さんが口を揃えていうとおり、利益が薄いのが正直なところ。届けたい気持ちと持続可能な商売とのバランスが難しく、モデル化に頭を悩ませました。
だが、やるからには、お客さまに分かりやすい仕組みにしたい。
そんな想いから、シンプルにこうします。
ワンタイムの寄付で終えず、継続的な応援をしたい。
「子どものための本と、昔子どもだったおとなのための本」のコンセプトに共感してくださったお客さまから預かったお金が、誰かの本につながっていったらいい。
今のところ、これだ。
「ちいさなとしょしつ」から、誰かの本へ
ここまで長々と読んでくださり、ありがとうございました。
最後に。
僕が表現する「オルタナティブスクールの仲間」には、集う子どもたちも、かかわる大人たちも意図しています。一人ひとりがそれぞれを生きあう世界につながっていく、眼差しが交わされあう、ちいさなきっかけになってくれたらいい。
そう願っています。
さあ、売ろう。
今日も佳い日で。