LFCコンポスト継続3年で見えた、Social GoodはMy Goodの後にやってくる?という仮説 (#69)
久しぶりに、LFCコンポストのアンバサダーとしてのnote です。
アンバサダーと言いつつ、ほそぼそ継続する以外にそれっぽいことをしていなかった中、
「コンキチ」と名付けた我が家のコンポストが、この5月で継続3年となりました!!
これは、アンバサダーとしてのチャンス!
とばかりに、継続3年を機に感じたことを書いてみます。
伝えたいのは、Social Good なことは、My Good なことの後からついてくるのでは?という仮説。
LFCコンポストとは
バッグ型の生ごみコンポスト。
電気などの動力源を必要とすることなく、バッグに「基材」と呼ばれる堆肥のもとを入れ、そこに生ごみをひたすら投入していくと、やがて堆肥になっていく仕組みです。
「今日、燃えるごみの日だけど、スキップする?」
この3年の間で、我が家では末っ子・娘のオムツが取れました。
これにより起きたことは、燃えるごみの量が激減したということ。
(一方で、この事実は、オムツをどう処理するかという新たな課題への入口とも感じています)
燃えるごみの日の朝、我が家ではこんな会話が交わされるようになりました。
我が家の地区では、燃えるごみの日が、週2回あります。
これが、週1回出せばよいことが多くなった。
「収集場所には、朝8時まで、時間を守りましょう」の看板に冷や汗をかきながら、午前7時59分15秒に玄関を開けてダッシュする必要もなくなりました。
ごくごく普通の生活をしている普通の4人家族の我が家に、こんな日が来るとは!
Social Good は、My Good の後にやってくるのでは?という仮説
そこで思えてくるのが、このこと。
生ごみの80〜90%は水分と言われており、LFCコンポストを使うことで生ごみを燃やすエネルギーを省くことができるのは、大いにSocial Good なことだと確信しています。
しかし、「Social Good だからやる」が先に立ってしまうと、どうしても窮屈になる。
それは、何かを我慢したり、削ったりするような、息苦しさがある。
LFCコンポストを続けていて見えてきたのは、目先の暮らしがシンプルによくなり、そんなMy Good が結果として Social Good にいつの間にかつながっていく、という感覚です。
My Good を無視して、Social Good だけを求めるのは、きついし、続かないと思うんです。
自分というSocialの一構成員を犠牲にしてまでもやることがあるとしたら、本当にそれはSocial Goodなのか?持続可能なのか?とも感じます。
暮らしが良くなった、だから続けたい。
このスタンスをこれからも大事にしていきたいと思っています。
読んでくださってありがとうございました。
LFCコンポストを始めてみよう、続けてみようってもらえたら、嬉しいです。
今日も佳い日で。