「本番は練習と同じように」が通じる唯一の時 (#66)
先日、X (旧Twitter) でポストした、このポストについて綴ってみたいと思います。
本気に何かに取り組んでいる人に、届きますように。
プロ野球の試合前を見て、本気に圧倒された
連休中、野球好きの息子に連れられ、球場でプロ野球の試合を見てきました。
驚いたのは、試合が始まる前、スタメンの選手たちが一生懸命に、時間を惜しむようにしてボールを回していたこと。
まるでその場に相手チームがいるかのようで、その風景には鬼気迫るものがありました。
本番ではないのに。
そこで本気を出したからと言って、その日の結果に恵まれる保証はないかもしれません。
語弊があるかもしれませんが、その日の勝敗やペナントレースの行方、契約金額に、直接的な影響はないかもしれないません。
でも、その練習風景から、にじみ出る本気。
「本番は、練習だと思ってやったらいい」は正解だが、間違ってもいるのでは
その時にふと思ったのが、このことです。
大事な試合の前、大事な試験の前、大事なプレゼンの前。
「本番は、練習だと思ってやったらいい」という言葉は、目の前の人にとって励ましのギフトになりうると思います。
しかし、練習を練習だと思ってやっている人に、「まあ次があるから」と思ってやっている人に、この言葉をかけたとして、
いったい、どこまでこの言葉がしみてゆくのでしょうか。
この言葉が通じるのは、練習を本番だと思ってやった人だけだと思うのです。
自分の中で乗り越えたい何かに向き合い、
乗り越えられたら充実感を噛み締め、
乗り越えられなかったら本気で悔しがり、
その一瞬に、どこまで本気を出せたか。
本気を出せていないことに気づいてから、そこからどこまでリカバれたか。
プロコーチとして「練習」に思うこと
私たちプロコーチは、クライアントさんとのコーチングの時間以外にも、コーチ仲間と一緒にコーチング練習をしています。
互いに守秘義務をともにしつつ、リアルなテーマを持ち込んで「コーチ役」「クライアント役」を入れ替えながら互いにコーチングし合います。
そして、コーチングを振り返り、良かったところや、もっとこうしたらどう?とフィードバックを送ります。
練習とはいえ、どこまで本気でできるか。
もはや「役」という一文字を切り削ぎ、どこまで練習相手にコーチとして関われるか。
耳が痛い内容であっても、そのコーチングにフィードバックを贈ることができるか。
僕らが普段「コーチング練習」と言っている集まりについても、背筋が伸びていく時間でした。
練習を本気でやるからこそ、
本番で「ひとりではない」と自分の勇気とつながれるのかもしれない。
外野席からグラウンドを見つめながら、そんなことを感じました。
読んでくださってありがとうございました。
今日も佳い日で。