20240714 MC

2006年、かなり力を入れて作ったアルバム「Prayer」
これを引っ提げたツアーをやったんだけど大赤字

こんな凄いことをやっているんだから
もっとわかってほしいとその翌年、2007年に
ツアーに参加したミュージシャンをばら売りして
その時にTripodの3人で軽井沢でやったのが最初

それからベースやギターを入れた時もあったけど
結局、軽井沢では鍵盤三人でやるのが一番良いとなり、それから10回以上続けてきた

でも2020年に信吾が他界し、
Tripodとしてはできなくなった。
大きな痛手、損失。
その後も形を変えてやろうと思えばできたけど
自分の中で「喪(に服する)」みたいなのが
あって、やる気が出なかった。

小林信吾という人は、角松敏生のバックミュージックを作る上で欠かせなく
僕が安心して全部を任せられる
初めての人だった。
中島みゆきさんや浜崎あゆみさんのメジャーな
仕事もやりつつ
どんなに忙しくても僕が何か活動する時には
必ず来てくれた。
まぁ、付き合いが長いというのもあるけど。

僕の考えていることは、周りに理解されない
ことが多かった。
スタッフに話しても「角松は何やるの?」と
でも信吾は、いつもわかってくれていた。
僕が何をしようとしているか1歩半ほど先のことを考えていてくれて
ありがたい存在だった。

ただ一度だけ「角松が何を考えているのかわからない」と言われたのが
「INCARNATIO」というアルバム
でもツアーに出て東京国際フォーラムの
ツアーファイナルでアイヌのミュージシャンと
沖縄のミュージシャンが一緒に出て
物凄く盛り上がって、その時のアンコールへ
出る前の舞台の袖で
信吾が僕のところへ来て肩をポンと叩いて
「やっと角松のやりたいことがわかった」と言ってくれた

それぐらい「こいつ、どうしたいんだろう?」と
いつも僕のことを考えてくれていた人

彼が遺してくれた手紙には
「じぶんが残したもの(音や映像)は好きに使ってくれ」と書かれていた

なので、ある程度時間が経ったら、その言葉に素直に従おうと。
そして今年のツアーをやると決めた時、2020年に演る予定で
中止になったツアーでも2曲目に決めていた「Cryin’ All Night」を
今年のツアーの2曲目で演った。
これで、信吾への「喪」がやっと明けた。

で、友成さんのほうが信吾より付き合いが
長いけど、二人でMAOCHICAを組んだ時が
深く印象に残っている。
友成さんの独自のグルーヴを見い出しのは信吾
森くんのプレイヤーやプロデューサーとしての能力を買ってTripodに誘ったのも信吾

僕が新しいもの作る時に、今、どんな
ミュージシャンが良いのか
それをアドバイスしてくれたのも信吾

その時に紹介してくれたのが
バイオリンの藤堂くん
その藤堂くんが紹介してくれたのが
チェロの(稲本)有彩ちゃん
そして去年、一昨年のMILADでは二人に
大変助けてもらった。

すべてが信吾で繋がっているというのを
今年の軽井沢で
感じてもらえたらなと、鍵盤と弦という
編成になった。

もう一度、改めて、小林信吾に感謝したいと思います。

ここで客席からは大きな拍手
角松さんは、大賀ホールの天井を見上げ、
右手のこぶしも天井に向けて挙げ
そしてこぶしを開いて、
そのまま天井に手を振った

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