おかげ様で毎年恒例になっている熊手を花園神社の酉の市に買いに行きました。仕事が忙し過ぎて一の酉、二の酉には仕事で忙殺されていて行けずやっと三の酉で時間があったので強引に車で。 我が家の熊手は割とデカめのなので車が好ましいなぁと車で行ってサブナードの駐車場に止めております。小さい方がいいけど江戸っ子…までとはいかないが東京生まれは見栄を張ってしまう。屋号のついた札がついている熊手を持って歩くの超絶気持ちいい、めちゃくちゃ商売人っぽさあって好きです。 (しかも熊手ってちょっと値の
舞い込んできた遠方の仕事。 ここまで遠い仕事は久しぶりだったし公共交通機関で行けそうなので担当さんに「機材もそこまで規模が大きく無いから新幹線で行っていいのなら」と受ける事にした。 宇都宮、一般的には餃子の街。 私は遠出が好きだ。精神的に危うくなるとすぐに車を飛ばして一人でどこかに行ってしまう。なんとなくそれが自分のメンタルのコントロールのやり方なんだと思っている。宇都宮はまぁまぁ近い北関東なので許容範囲だ。餃子を食べに行ったりMVや映画でお馴染みの大谷資料館に行ったり、見知
私は東京都世田谷生まれである。 この街を詳しくない人は「セレブ!」「いいとこのお嬢さん!」と勘違いしているが、私の中だと単なる故郷なのである。 下北沢は私に「大人にとっては悪いものを教える街」であり私はここで『悪い事』をいっぱい覚えた。 特にライブハウス。下北沢シェルターは幼馴染がバンドをやっていて行ったのがライブハウスデビューだった記憶がある。 下北沢には自転車で行ける距離でありお金のない私はオンボロのチャリでよく行っていた訳です。 隣の駅の東北沢に河合塾があって(今もあ
繁忙期、夢遊病のように仕事をしている。 知らない人に会って、その人と向き合って、そしてまた知らない人に会う。毎日がそんな感じ。慣れていないけど慣れている…慣れさせている?そんな私もフリーになって10年。 夢遊病みたいに現実と夢の境目がない時はヒトリエのsleepwalkを歌ってしまう。なかなか難しい歌だけれど、ヒトリエは好きだ。 https://www.youtube.com/watch?v=vZQsQRLEyVQ 大学時代ぐらいだろうか?流星の如く現れた『現実逃避P』
コロナ騒ぎで自粛活動からやっと「ニュースタンダード」「アフターコロナ」「ウィズコロナ」という名目を掲げて動き出した日常。 私は自粛の時は仕事が外回りなもので家に強制的に隔離され過ごす日々でした。 皆さんいかがお過ごしでしょうか? 本日は久しぶりに都内を出て埼玉の志木という街に仕事へ。住みやすい住宅街でオシャレなお店も多く、東京へのアクセスもいい素敵な街です。 以前オシャレなお店の取材で来て、今回は二度目。 仕事は朝からだったのでささっと終わらせてランチを探そうと機材を車に突
タイトルを何にしよう、未だに悩みっぱなしだ。 話は変わるけど私は小さい頃からゲーマーだ。いや、ゲーマーになりたかった。親は厳しくてゲームを買ってくれなかった。しかし亡き父がある日忘年会のビンゴ大会で優勝してしまいスーパーファミコンが届いてからゲームの虜だった。 でも家は厳しいまま、我が家にあったのはスーパーマリオとドラクエ5のみだった。泣いて交渉して、お手伝いして、宿題してやっとそれ。 PlayStationが欲しいと言った時じゃあ、スーファミ処分したら買ってあげると言われ
今日は過去に行った洋食屋さんのお話でも。 大学生の時、私は多摩地方の方に拠点を置いていた。都内で憧れの大学生活ができると思ったら入れた大学は山の方。憧れの都会のキャンパスライフなんて夢のまた夢、おしゃれお店も無い、学食はめちゃくちゃ不味かった。 別の記事にも書いているけれど6年間撮影していたフジサンズというバンドは吉祥寺、八王子、立川などの多摩都市を拠点としていた。 だから多摩都市側は私にとっては青春の地。 今でも住みたい街だけれどやっぱり23区が仕事には便利すぎてなかなか
ゆるくタイトルをつけてみた。 カフェや喫茶は胎内のようで好きだ。人の個性の中にお邪魔できる雰囲気がする。気に入ったところで時間を過ごすって、素敵ですよね。 今日は埼玉県の富士見市にあるchapot cafeさんへ。 前にある飲食店のウェブサイトを撮影しに行った時お腹を空かして店を探していたんだけれどいい雰囲気だけれどお腹いっぱいにはならなそうだったので泣く泣く別のところに行った時見つけたお店。 畑に囲まれた小さな白い家、周りにはヨーロッパにありそうな木が植えてある。 映画
仕事柄よく知らない街に行って某所マストドンにこんなところでお昼を食べたトゥートをしているのだけれど地味に好評なのでアーカイブスも兼ねて短文で載せておきます。 先日お邪魔したのは京浜東北線沿線の蕨駅に程近い喫茶クラウン。レトロで媚びない雰囲気に惹かれて入店 落ち着いた地元に愛される喫茶感、陽の光が入る素敵なお店。パートのおばさま達が手際よくお仕事していて写真撮影にもにっこりOK。慣れてるような感じだからきっとレトロ喫茶界隈では有名? おばあちゃんの女子会の会話が心地いい、
昨日は銀座のお気に入りのバーで飲んで二日酔い。 1X年ぶりにやらかした二日酔いに懐かしい気持ちになりつつ当時の自分のバカさ加減にうんざりする いや今も生意気でバカだとは思っているけれど。 30代半ば、フリーランス10年目、クールに受け流す選択欄、秒速で現場を判断するスキルを手に入れても未だ私の頭は20代前半で止まったままなのである。 滅多に乗らない銀座線に2日連続で世話になりながら、適当な音楽を聴き、このアーティストがフェスに来たらと思いながらプレイリストを作る。 敬
昔から私を知ってる人といえば「フジサンズのカメラマンをしていたとしこちゃんですよね?」という枕詞が入ってくる。 私はそれほど彼らと共に居たんだなぁとたまに彼らの事を聞かれると変な笑いがこみ上げてくる。彼らとは多分6年程共に居た。彼らを追いかけ続けた。フィルムもデータも物凄い量だ。今でもたくさん残っている。私とフジサンズは付かず離れず珍妙な距離感でバンドとカメラマンという関係性を崩さずにそれ以上もそれ以下もなく、平和な6年間だった。 彼らを知ったのは知り合いのバンドマンからの
5月7日、家の床で座っていて立ち上がった際変な横転の仕方をした私は左足首を強打し、骨折しました。 GW10日間の長い休みも終わり仕事まであと一息、少しの休みを楽しもうと気楽に映画を見ていた時、待ちに待ってた新しい機材を持った宅急便が来てインターホンが鳴った時 「わーい!きたきた!」とウキウキで立ち上がった時だった。 つるりと横に滑り横転、足首が変な方向に曲がったのをはっきりと見てしまった。 そして想像できないぐらいすごい音、たった1人で悲鳴をあげた。 今まで感じたことのな
プロカメラマン10年目、やっと周りの視界が晴れてきたように昔できなかった事、やりたかった事をポツポツと思い出してやりだすようになりました。 その前まで恥ずかしいことに目の前のことにがむしゃらすぎてこんな事は出来なかったのです。やっとスタートラインのようなそんな気分で生きています。 突然ですが私には忘れられないカメラがありましてね。ポーランド製の変な形のカメラなんです。卵型でクリッとしていてカラーリングもかわいらしい飴玉みたいな洒落たカメラなんです。35mmフィルムを使えるの
写真撮影を割と足を突っ込んだある人ことなら知ってるはず、ドイツの銘玉カールツァイス。 私はツァイスが好きで仕事とプライベートの単焦点レンズは両方ともツァイスだ。 単なる自己満足なんだけど。 学生時代、作品で行き詰まった時にあるシンガーソングライターの女の子をヤフオクで買ったローライコードで撮影したんだけどトリオター(レンズの名前)が素晴らしすぎてそれから「ツァイスで撮ると私みたいなドイヒーでも綺麗に撮れる!」と勘違いしたからなのである。 それからローライコードは手放してし
常にカメラを握りしめる日々。 カメラマンの一番かっこいい姿は三脚を肩に引っ掛けてる姿だと信じてやまないしがないカメラマンです。こんにちは。 たまに私の大好きな友達Kちゃんが「ライブするから撮って欲しい」と言う時だけしかライブハウスでカメラを持たなくなってしまった。 そんなKちゃんももうライブやってないらしいけど。 アシ時代「ライブ撮っても写真のスキルが上がる訳ではない。いい場所でいい演者を撮るなんてみんな上手く撮れるのは当たり前だ」と師匠に言われてどうしようもない劣等感を
十数年間私は引っかかっていることがある。 私の中には23歳の私が今でも生きていることだ 私は前にもnoteに書いた通り八王子でバンドを撮っていてたくさんの仲間ができた。 それなのに八王子を去った理由は本気でカメラマンを目指すだけではなかった。 当時私には好きだった人がいた。 私の写真をやたら褒めまくるスポーツ万能で明るくて元気な周りに愛されている人だった。 「いつか写真を撮ってもらいたい」私に会うと彼はよくそれを言っていた。年が近いということもあり話すことは多かった。よく