ひなビタ♪纒とすみれ「仰げば尊しすみれの恩」

倉野川市、日向美商店街。

元気のなくなった地方都市の商店街を盛り上げるために組まれたガールズバンド「日向美ビタースイーツ♪」。

倉野川市役所、観光課。
名前の通り、倉野川市の観光に関わる業務全般を扱う。

市役所の新人職員・菫平すみれ(すみれだいら すみれ)は、この部署に配属されて働いている。
すみれの上司は、久領堤纒であ
「違います…。『偉大なる久領堤纒大先輩』です…。以後、お間違えのないように…。」
すみれの上司は、偉大なる久領堤纒大先輩である。そして、纒はすみれの「推し」でもある。

(偉大なる久領堤纒大先輩と同じ職場で勤務できて同じ空間を共有できて同じ空気を吸引できて同じ時代を生存できてああ私は何という幸せ者なのでしょう…。)

勤務中、すみれはいつもこの思いに満ちている。推しと同じ職場で働ける幸せを、日々実感している。
だが、実際の仕事では、幸せなことばかりではない。

「菫平さん。」
「は、はい…。」
纒とは別の観光課の上司が、声を掛ける。

「菫平さん、この前作ってもらった稟議だけど、こことここの数字が間違っているから、もう一回計算し直して、また課内にまわしてください。」
「…あっ、す、すみませんでした…。至急、修正いたします。」

すみれが稟議をまわしていた書類の、不備を指摘されたのである。
人間、ミスはあって当然であり、指摘も正確な事務処理のために必要なのであるが、悔しさを感じていた。

「どうして…、何回も見直したのに…。」
と同時に、こんなことを考えもした。

(もし偉大なる久領堤纒大先輩なら一度の確認で数値の不備を全て訂正しいやそもそも不備など存在し得ない最初から最後まで構成の美しさに見惚れるしかないWordのテンプレートも裸足で逃げ出すくらいの書類を作り上げ尊い尊い尊い)

推しの仕事振りを神格化し、自分をなぐさめている。
推しをあまりに崇め奉るのも危うく見えるが、すみれの場合は仕事へのモチベーションにつながっている部分もあるので、一概に批判はしにくいところである。
そして、不備の修正が完了し、

「お待たせしました。修正が完了いたしました。」
と、さっきの上司に提出した。
「うん、大丈夫です。ありがとうございます。」

そこに、観光課の課長がやって来た。

「菫平さん、仕事は慣れましたか?」
「はっ、はい…。まだまだ分からないことだらけではありますが、何とか…。」
「そうですか。分からないことがあれば、何でも聞いてくださいね。この後、お時間はありますか?」
「はい…。何も仕事の予定はないです。」
「では、11時になったら、会議室に来てください。」
「…会議室…ですか?…な、何か…。」
「アハハ、叱るのではないですよ。仕事の話ですよ。」
「…わ、分かりました。」
まだ新人の私に仕事なんて、いったい何だろうか。すみれは、不思議な気持ちになった。

午前11時、会議室。

コンコン…。
すみれが、会議室のドアをノックした。
「菫平さん、入ってください。」
「…!?」
聞こえてきたのは、纒の声だっ
「『偉大なる久領堤纒大先輩』です…。ここは重要かつ不可欠なポイントです…。」

聞こえてきたのは、偉大なる久領堤纒大先輩の声だった。
ドアを開けると、室内には課長と纒の二人が座っていた。
纒がすみれの緊張を解くように、いつもの柔らかいトーンで話し掛ける。

「菫平さん、ごめんなさいね。突然呼び出したりして。」
「…ど、どうされたんですか?」
「私が担当している、『日向美ビタースイーツ♪』、というバンドは知ってる?」
「は、はい…。高校生たちの…日向美商店街で活動されている、バンド…ですよね。」
まるで問題に解答する生徒のような口調で、纒の質問に答えた。

「うん、それだけ知ってたら、上等よ。」
「それが…いかがいたしましたか?」
纒がゆっくりと話し出す。

「倉野川市が、2012年に日向美ビタースイーツ♪を軸にした観光振興を打ち出して、今年で12年になるのよ。」
「あれ?…高校生、ですよね…?」
「そうよ。」
「…いろいろ、時空がゆがんでませんか…?」

すみれの、至極まっとうな疑問を、
「そこは気にしちゃダメよ。」
纒がシャットアウトする。

「わ、分かりました…。」
「続けるわね。…彼女たちのおかげで、倉野川市の知名度は大きく上がったわ。そして、近年は、他のサブカルコンテンツから、彼女たちを知って、倉野川市を訪れる方もいらっしゃるし、その逆もあるわ。」
その流れは、すみれもうっすらと感じていた。

「温泉や…、あとは、探偵や、食いしんぼう、とかですよね。」
「そうよ。かつては、コンテンツ同士で棲み分けがなされていたけど、異なるコンテンツをまたいで複数の『推し』がいる、と、いうのがノーマルになりつつあるわ。」

すみれは、同じ『推し活』の一人として、その思いを推し量った。
(…私は、偉大なる久領堤纒大先輩一筋だから、そこは理解しかねるけど…。確かに、推しがたくさんいる、というのも、生活に潤いが生まれるわね…。)

「そして、倉野川市はこの機を捉えて、観光の仕切り直しをしたいのよ。」
「えっ?」
「いろいろなきっかけで日向美ビタースイーツ♪を知ってくださるけど、新しい方への彼女たちの紹介、という部分が、弱くなっていたと思うの。」
「歴史のあるコンテンツの弊害ですよね…。」
「ご名答。これまでのファンのみなさまに感謝するのはもちろんだけど、新規顧客へのアプローチを、同時に進めたいのよ。」
一呼吸置いて、纒が切り出す。

「菫平さんに、私の日向美ビタースイーツ♪の業務を、副査という形で手伝って欲しいんです。簡単な業務は、主査になってもらうわ。」
「わ、私が、ですか!?」
すみれが目を丸くして驚く。

「そうよ。もちろん最初は分からないことしかないから、私が主に菫平さんについて、もちろん課長や、課員全員でサポートするから、そこは心配しないで。私が保証するから。」
「で、でも…、私は、まだ入庁したばかりですし…。そんな、大先輩のお手伝いなんて、恐れ多いです…。」
すみれの顔が、不安で青くなった。

「…菫平さん。」
それまで纒とすみれの会話を黙って聞いていた課長が、話し始めた。
「菫平さんは、履歴書に、趣味が『推し活』と書かれてましたね。」
「はっ、はい…。」
「観光には、その観光地…土地を好きになってもらう、という部分があります。それは、『推し活』と相通じるものがあると思っています。」
「そ、そうですね…。」
その視点はなかった。

「ファンのみなさまは、日向美ビタースイーツ♪のメンバーそれぞれ、楽曲、ひいてはバンド自体の推しをされていて、同時に、日向美ビタースイーツ♪を通じて、倉野川市の魅力を内外に伝えてもらっています。菫平さんなら、推し活をされるファンのみなさまの気持ちを分かって、寄り添った仕事をしてくれるのではないか。そう、久領堤さんと話し合っての、抜擢なんです。」

私を…、そこまで買ってくださっているのか。

「菫平さんはまだ新人ですから、お仕事は分からなくて当然です。それは課全体で何とかします。日向美ビタースイーツ♪の活動に関わることで、菫平さんの可能性が広がることを、期待しています。」
「…。」
すみれが黙り込んだ。

「…どう?」
纒が、すみれの顔を覗き込む。

「…分かりました。やってみます。」
すみれが静かに、しかしはっきりと、課長と纒に答えた。

「やってくれますか。良かったです。それでは、また少しずつ、久領堤さんに引き継ぎをしてもらいましょう。」

課長がほっとした口調で話し、続けて、
「ありがとう。菫平さん。」
纒がにっこりと、すみれに微笑んだ。

ドーン!
(笑◯せぇるすまん風に)

すみれの心臓が撃ち抜かれ、椅子にあお向けにもたれ掛かった。
「菫平さん!大丈夫!?」
課長と纒が、慌ててすみれに呼び掛けた。

「…だ、大丈夫です…。」
何とか平静を装って答えたが、心臓は激しく鼓動を打っていた。
(偉大なる久領堤纒大先輩の偉大なる業務をともに務めさせていただきさらに私がメインで進めさせていただけるなんて何て身に余る幸福で勤務中は常に偉大なる久領堤纒大先輩に私の働きぶりをみていただけるなんて嬉しさと恥ずかしさで倒れそうになるいやもうすでに倒れているこの自己矛盾さえも尊い尊い尊い)

終わり。


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