「劣等感」「自己嫌悪」「嫉妬」と向き合う
【本文】
感化されやすい自分なので、一過性にならないよう言語化(アウトプットすることで)して、しっかりインプットしたい。見城徹さんの『読書という荒野』を読んで以来、劣等感・自己嫌悪・嫉妬という3つの感情を強く意識するようになった(※見城さんの著書では、劣等感と自己嫌悪という言葉がピックアップされているが、自分自身一番強く感じるのが「嫉妬」なので、それを加えることにした)。
いや正確にいうと、それらそのものは以前から感じてはいたんだけど、まるで客観視できてなかった。例えるなら、酔っ払ってる人が「酔ってますよね?」と言われて「酔ってない」と答えるようなもの。いまはその3つの感情が湧いてきたとき「あっ、オレこういうときに自己嫌悪を感じるんだ」という具合に自分の感情をピックアップできるようになった。もちろんその感情がゼロになることは絶対ないけど、ちょっと落ち着きを取り戻すことができる。
以前まではピックアップの過程をすっ飛ばして、いきなり理性を装い、感情を抑えようとして無理があった。結果的に感情が爆発して暴走、周りに迷惑をかけたことが多々あった。最近はそこまで感情的になることはないけど、ただ単純に劣等感・自己嫌悪・嫉妬のレベルが低かったんだと思う。バネの理論じゃないけど、長いバネを強く押しこめば押し込むほど、めちゃくちゃ跳ねる、そんな感じ。決して成長した訳じゃない。
同じく以前までは劣等感・自己嫌悪・嫉妬を醜いものだと否定し、まるで悪のように捉えていた。よく「こんな嫉妬を感じるようじゃダメだ」と考え、その対策として理性を持ち出して、負の感情を制しようと試みていた。その結果はご存知の通り、感情が爆発して取り返しがつかないことに。更なる自己嫌悪に陥ることになった。
ただボクは神様でもなければ、聖人でもないし、ロボットでもない。負の感情を抑えること自体不可能で、それを制することは実は傲慢なことなのかもしれない。
それを薄々、薄々感じていたからなのか見城さんが著書の中で、負の感情を肯定的に捉えられていたことは負の感情を溜め込んだ自分という人間そのものを肯定されたような気がし、背中を押された感じがした。負の感情を抱くことが人間らしさ、そんな当たり前のことを27歳にしてようやく本当の意味で気づくことができた。
個人的な問題は3つ、①その感情が発したときに抑制せずその感情を飲み込めるか。②その感情を自分以外の誰かに見せることができるか。③その感情を原動力として実践に移すことができるか。
①は先述したとおり、人間にとって当たり前の感情として捉え、客観視できるか。
②については、以前までなら強がっていた自分をありのままの自分として他人に表現できるか。「弱さを見せること=恥」と捉えていた自分は周囲の人たちを遠ざけ、結果自分を苦しめていた。自分の弱さを素直に認め、共感者を見つけること。周りにも当然負の感情を抱えている人はいるし、お互いに弱さを見せることで救われることがあると思う。傷の舐め合い、同じ穴の狢で上等。
③は、その感情ばかりを抱えているだけでは本当の負け犬になってしまうので、その感情が湧き起こった出来事・人物に対して覚悟を持って向き合い、新たな自分を手に入れることができるよう実践に移すこと。感情という原体験はなにより説得力があるし、さっきのバネの理論を良い方向に利用することができる。
言うのは簡単だけど、実際に行っていくのはめちゃくちゃ難しいと思う。なんてたって、負の感情を抑える方法で27年間生きてきたから。でもここで決意しないことには今後の自分の人生がより悲壮なものなるように思えて止まない。正直「ここでこんな決意をして大丈夫か?」とビビってる感じはある。ただ、ここでビビってやらなかったらいつまでも同じ、自分の弱さを認められていないし実践もできていない。
今度こそ劣等感・自己嫌悪・嫉妬という感情に覚悟をもって向き合い、新しい自分を手に入れることができるよう確実に一歩一歩前進していきたい。
【あとがき...的な】
『読書という荒野』を読んですぐ後のせいか、文調が見城さんっぽくなってしまいました(内容の充実度やクオリティはもちろん見城さんが遥かに上です、比べること自体おこがましい)。はじめはツイッター上でクソツイしようとかと思ったんですが、メモに書いていくなかでめちゃくちゃ長くなり、はじめてnoteに投稿することにしました。
僕はいわゆる病んでる人を見ると、慰めるのではなくウケ狙いでちょっとボケようとします。もちろん悪気があるわけではなく、逆に元気付けたいという目的なのですが、一方で負の感情を抱えた自分の強がりであり、マウントを取ろうとして自分の優位性を保ちたかったのかもしれません。元気付けることは変わりませんが、今後は自分の弱さを自覚して共感を生むような接し方をしなければと反省しています。
さて、かくいう今日も強い『嫉妬』を感じてしまいました。嫉妬を肯定できた瞬間、不意に笑ってしまいました。というのもその嫉妬の原因を探ると「もっとかまってほしい」というあまりにも幼稚すぎる欲求だったからです。ただその欲求を素直に認められたのも嫉妬を肯定できたからでしょう。今後はかまってもらうための対策を練るばかりだとな、負の感情とは対照的な小学生のようなピュアな気持ちでこの文を締めたいと思います。