1/1(水) 祖父 と 水稲「フジミノリ」
祖父の名は、長徳(ちょうとく)。
昭和45年10月、まだ父が高校生だった頃に祖父は他界しました。
当然、私は生まれておりませんし
家にも祖父の写真が無くどんな顔をしていたのか?
年を重ねるごとにその気持ちは強くなります。
(爺ちゃんの写真、どっかに無いかなぁ…)
新しもの好きな祖父
流行に敏感で新しいものが大好きだった祖父。村で初めてバイクを購入した話は、いまでも家族の間で語り継がれています。しかし、そんな祖父が何よりも情熱を注いでいたのは農業でした。
農業に一生懸命だった祖父
朝から晩まで水田に立ち、稲の成長を見守り、
日が沈むまで手を休めずに雑草を取り除く――。
その姿を、父は今でも覚えていると言います。
祖父が育てていた水稲「フジミノリ」
祖父が育てていた稲の品種は「フジミノリ」。
昭和36年に岩手県の奨励品種に選ばれ、
昭和41年には作付面積の42.3%を占めるほど普及した
県北部の基幹品種でした。
長稈長穂で耐病性、耐冷性に優れ、
良質で収量の多いこの品種を、祖父は見事に育て上げ、
なんと反収12俵もの米を収穫していたのです。
簡単に到達できる数字ではありません。
今、祖父に会い、話をしたい。
祖父はどんな思いで、
どれほどの手間を惜しまず「フジミノリ」と向き合ったのだろう。
今、私は「岩手亀の尾1号」を主食用飯米として育種・生産していますが、
いつも心の片隅に「フジミノリ」の存在があり続けます。
祖父が心血を注いだあの品種を、いつか再び田村家の田んぼに蘇らせたい――
そう思わずにはいられません。
40歳を越えた頃から、
祖先が繋いできた歴史やその痕跡を追いかけることに惹かれるようになりました。
岩手の地で育まれてきた稲たちに、
そして祖父がそこに込めた想いに触れることで、
「何を託したかったのか」という答えが見えてくるのかもしれません。
「フジミノリ」の稲穂が風に揺れる光景を夢見て
今年も種籾探しは続きます。