【男性の自分がフェミニズムを学ぶ理由】 ②自分にも必要という気づき
みなさんこんにちは!大学でフェミニズムを学んでいるトモキです。フォロー・いいね・コメントをしてくれる人がいて、とても励みになります。
こういうnoteを書いてはいますが、「教える」とか「解説する」とかの一方的なコミュニケーションはあまり好きではないので、コメントでどんどん意見をいただいて、皆さんと話したいなと思ってます^^
さて、前回の記事では、僕とフェミニズムとの出会いを紹介しました。
パートナーが生理に伴う様々な身体の不調を必死に押し殺しながら、バイトや大学に通う姿から疑問を持ち、そしてその疑問から、大学の「フェミニスト現象学入門」の授業に出会いました。
今回は、授業で何を学び、何を感じ、そしてなぜその後もフェミニズムを学んでいるか、詳しく紹介します!
現象学とは何か-記述の持つ力
僕が大学で学んだ「フェミニスト現象学」ですが、これがどのような学問なのかを説明する前に、まず「現象学」について説明します。現象学とは、事物がいかに人々の前に立ち現れるかについて研究する学問で、抽象的な論理的思考ではなく、現実の経験をありのままに記述することから始まるのがポイントです。
僕たちは普段、自分の暮らしの中で経験したことをじっくりと理解し、把握するということをしていません。「自分は今〇〇を経験している!」と明確に意識する前に、僕たちは既にその経験を生きてしまっています。そうして日々の暮らしはどんどん進行していくため、自分の経験の一つ一つが、なぜそのように経験されているのかについて内省することはあまりないのです。
現象学では、そのような意識されずに忘れ去られてしまった原初的な体験を、当事者が経験を記述することによって呼び戻します。それゆえ、それまで見過ごされてきた問題を見えるようにし、争点化させる力があるのです。
フェミニスト現象学とは
そして「フェミニスト現象学」とは、現象学的なアプローチをフェミニズムに応用したものです。この社会に存在している、性差別的な規範や偏見を変えていくための第一歩として、女性の実際の経験を記述します。
ポイントはやはり、何よりも生きられた経験を当事者の視点から記述すること。そのため、日々の生活を営む中で、「普通」と思われているがゆえに、批判的に考えを深めたりすることのない既存の思考の枠組みを洗い出します。
さらに、女性の経験の探求から始まったフェミニスト現象学ですが、その後シスジェンダーの女性に限らず様々なマイノリティの経験(性的少数者や、ハーフ、障がい者、「老い」の経験など)、そして複数の差別や抑圧の構造が交差する経験を記述する活動となっています。
日常に潜む様々な問題と、自分との関係
大学の授業、および使用したテキストでも、様々な社会問題を扱い、当事者の経験を紹介し、幅広い領域の規範や偏見に問いを投げかけました。
その一部を紹介すると、「女の子らしい身振りとは何か」「妊娠とはどのような経験か」「なぜ月経を隠さなくてはいけないのか」「どこまでがセクシュアル・ハラスメントか」「なぜ自分のセクシュアリティを口に出すのか」「男性としての生きづらさはどのようなものか」「障がいはどのような経験なのか」「年を取るのはどのような経験なのか」などなどです。
さらに授業では、それぞれのテーマに合わせて受講者たちも自身の経験を振り返り、記述しました。
日常で社会の問題にぶつかり、生きづらさを感じた経験が、その身体のちょっとした違和感まで詳細に記述される。
自分の感じたことのなかった生きづらさが、文章を通じて、僕の目の前に極度のリアリティを持って現れました。それを最初に目にした時の衝撃は忘れられません。当事者の生きられた経験を聞くということは、それほど大きなことでした。
目に見えなかっただけで、問題は日常に数多く潜んでいる。そのことを強く意識しました。
加えて、自分の経験をよく振り返ってみると、自分もいつの間にか様々な「普通」を受け入れ、違和感を当たり前のこととして受け入れてしまっていたと気づきました。
例えば、「男性は大学を卒業して、いい仕事につくのが当たり前」という規範。これは、幼い頃からの両親の姿や言葉によって、僕を縛ってきたものです。違和感を感じながらも、そこから逸脱しないように生きようと必死になっていたと、今になって思います。
フェミニズムと出会っていなければ、自分も違和感を受け入れたままにしていたし、将来的に生きづらさを感じた時に何もできなくなってしまっていただろう。そう強く思いました。
フェミニズムを学び、実践しようという決意
こうして、記述された経験から規範に問いを投げかけ、新しい解釈の可能性を示すフェミニスト現象学を学び、大きな気づきを得ることに。
今まで目を向けてこなかった問題が見えるようになったことと、自分も「規範」を受け入れてしまっていることへの気づき、そして自分の中の「当たり前」が崩されたことは、自分をフェミニズムの勉強へと駆り立てました。
かつて、男性だからフェミニズムは自分には関係のないものだと思っていた僕。ところが、自分にも関係があるどころか、自分にも必要なものだと気づき、自分のために学ぼうと思ったのです!
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