じいちゃんを燃やした日
昨日、じいちゃんの通夜があって、今日、葬式だった。
4日前の土曜の夜、危篤の連絡が入り、家族で病院に駆け付ける。
もうダメなのかと思って向かったんだけど、幸い意識はあって、何とか持ち堪えているようだった。コロナ禍という事もあり1人ずつ面会をする。
じいちゃんは耳が遠くて、その影響もあって会話が少ないためか、声もほとんど出なくなってしまっていた。
病室に入ると、じいちゃんは涙ながらに笑顔で迎えてくれた。
何かを話してくれてるんだけど、それは殆ど声にはならず、聞き取る事ができない。
じいちゃんがジェスチャーでベッドを起こすよう要求して、今度は空中に何か文字を書いている。
だけどやっぱり、何を書いているかはわからない。
ホワイトボードマーカーを持つ程の握力はなくて、指で直接書けるようなデジタルメモパッドもない。
50音表を持ってくてくれたけど、ベッドを起こしたせいで血圧が上がったらしく、意識を失いかける。
コロナという事もあり、無理は禁物という事でその日は解散する事に。
手を握ったオレの気持ちは伝わっただろうか。
きっと伝わったと思うんだけど、じいちゃんの伝えたかった事をわかってあげられなかったのが、最後の後悔。
それから2日後の月曜日の朝、職場に連絡が入る。
じいちゃんが亡くなった。
享年91歳。
大往生だ。
今から行っても病院では会えず、残念だけどできる事もない。
この日は普通に残業をして、実家でじいちゃんに会った。
じいちゃんは、生前にお気に入りだった服を着て、横たわっていた。
まるで眠っているだけかのように、とても安らかな顔だった。
だけど、顔に手を触れると、とても冷たい。
4年程前、ラックが亡くなった時と同じだ。
わかっていたけど、冷たいじいちゃんは、残酷な程にじいちゃんの死という事実を突き付けてくる。
涙は流れるけど、自分の感情はわからない。
もちろん、悲しいとか、寂しいなんだろうけど、何も考えられなかった。
何かを語り掛けるという事もなく、ただずっとじいちゃんの顔を見ていた。
横にばあちゃんがいて、泣いてくれてる。
だから、オレはそこまで取り乱さずにいられたのかもしれない。
実家で晩飯を食ったけど、半分ほどで食べられなくなり、その日はアパートに戻った。
翌日、火曜日。
通夜の日だけど、とにかく人手の足りない我々の業界は、こんな時でもおいそれと休めない。
16時に出棺という事で、何とかそれに間に合うように、少しだけ早く退勤をする。
実家に着いたのは15時過ぎ。
こんなご時世だけど、親戚も、生前交流のあった方々も、たくさんの人が見送りに来てくれていた。
出棺。
男衆で棺を運び出し、車に積み込む。
そのまま慌しく、斎場へと向かう。
通夜や葬儀ってのはよくできたもんで、恐らくわざと、難解にしている部分もあるのだと思う。
お陰で、坊さんが経をあげてくれている間、少し眠る事ができた。
経典みたいのは、一応、一通り目を通した。
いとこの子どもが通夜や葬儀に関わらず騒いでくれていたのは、ありがたかった。
坊さんの読経とすすり泣きだけの通夜葬儀なんて、辛気臭くて耐えられない。
通夜の晩は、オレと、親父と、祖父の甥が斎場に泊まった。
生前よく酒を呑んでたじいちゃんに付き合って、大して呑めもしない酒を開けながら晩飯を食う。
そして、すぐ寝た。
今日、葬儀の日。
朝起きて、じいちゃんの顔を見ながらコーヒーを飲む。
葬儀まで時間があったので、近くのコンビニにじいちゃん用の柿の種の購入と、写真のプリントに向かった。
3年前、じいちゃんばあちゃんを連れて、花見とオレの職場見学に行った時の写真だ。
自分で言うのも何だけど、めちゃくちゃいい写真。
じいちゃんにあげる用と、ばあちゃんや母さんに渡す用に、4セット8枚くらい印刷する。
結局、じいちゃん、ばあちゃん、母、母の妹に行き渡った。
まだまだ時間があったので、柿の種(大袋)をじいちゃんに供えつつ、2枚の写真の裏側に手紙を認める。
こんなのは遺された者の自己満足だけど、じいちゃんが一緒に持って行ってくれたらいいな、という願いも込めて。
じいちゃんは、とにかく優しい人だった。
人の悪口を言っているところなんて聞いた事がないし、怒っている姿だってほとんど記憶にない。
ばあちゃんも、1度も怒られたり、殴られたりした事がないと言っていた。
昔の人にしては、珍しい事なんじゃないかな。
幼稚園の頃は、じいちゃんに送迎してもらったっけなぁ。
帰り道に、今はもうやっていない個人商店で買ってもらってたあずきバー、うまかったなぁ。
じいちゃんが畑で育てた野菜、山のように食ったっけ。
じいちゃんの作ったキュウリでばあちゃんが漬ける漬物、無限に白米が食えるんだ。
どうしてもオレが弟と折り合い悪くて、実家を出て一人暮らしをすると決めた時、「行くなよぉ。」と言っていたじいちゃんを思い出す。
これも後悔。
あと、オレも今同じ事思ってるからな。
じいちゃん、行くなよぉ。
もう歳だから、仕方がない。
90生きたら上等だ。
頭で解っても心がごねるの。
me me she
葬儀が終わったら、いよいよ最期の別れの時間。
オレは、さっき買った柿の種と、ばあちゃんじいちゃんの写真を入れる。
写っている人が大丈夫なら、写真を入れてもいいんだって。
今は白装束じゃなくて良くなったし、棺に釘も打たない。
故人にとって良い形が、いいよね。
じいちゃんの棺が、柿の種と、写真と、たくさんの花で埋め尽くされていく。
実家にあった椿の花や、梅の枝も一緒だ。
梅の枝はまだ蕾の状態。
今年は庭の梅が見られなかったね。
今度、ばあちゃんとでも一緒に見てくれ。
泣いてる母さん、ばあちゃんの姿はやっぱしんどくて。
ばあちゃんが触れた後は、もうじいちゃんには触れなかった。
最期にじいちゃんに触れるのは、ばあちゃんの役目だ。
と思ったらその後アニキが触ってた。
まぁ気持ちもわかるから、いいよ。
じいちゃんはペースメーカーを入れていたから、爆発しないように弱めの火で火葬する。
それでも、1時間くらいだったかな。
骨ってもっとキレイに残るのかと思ったけど、結構ボロボロになるんだね。
ペースメーカーとベルトのバックルも燃え残ってた。
コロナの関係で、骨壷に骨を入れるのも親父だけが行った。
全身の骨を順番に入れていくんだけど、じいちゃんの骨を箸で砕いて入れていく光景は、ちょっと衝撃だった 笑
骨になって出てきた後は、ばあちゃんも少しスッキリしたよう。
諦めがついたからか、じいちゃんが帰ってきた安心感からか。
きっと、両方。
この歳まで、ありがたい事に身内との死別はなくて、今回が初めての身内の葬儀だった。
得難い経験、でもしないに越した事はない経験。
ラックの時も思ったけど、もし向こうで幸せにいてくれるなら、少し死後の世界を信じてみてもいいかと思った。
きっと、ラックの時より強く。
ラックの面倒も見てもらわならんしな。
式中に子どもが騒ぐのも全然気にならない。
じいちゃん絶対怒らないもんね。
そんな優しいじいちゃんだけど、きっと寂しいだろうから。
写真に添えた手紙で、まだばあちゃんは連れていかないように頼んでおいた。
しばらくは、ラックの世話をしながら過ごしててくれ。
因果なもので、じいちゃんが危篤だって聞いたあの日から、どうやって子ども達に話そうかって考えてる。
伝えなくてもいいのかもしれない。
だけど、あの子達を1人の人間として向き合っているからこそ、しっかりと伝えようと思ってる。
オレの、優しいじいちゃんの話。
命を、言葉を大切にしてほしい話。
これを読んでくれたあなたの中にも、多かれ少なかれオレのじいちゃんの事が刻まれる。
してやったりです。
読んでくれているあなたが、オレの知り合いか、たまたま読んだだけの方かはわからないけれど。
オレの、とってもとっても優しいじいちゃんを、燃やした話。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
じいちゃん、まめでな!