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時折の感情
財布を拾ったので近所の交番に行くとそこにはハツラツとした警察官の方が居た。
書いてほしい書類があるというので住所を書いていると、「最近越してきたんですね、このあたりで気になることはありませんか?」と聞かれ最近あったぼんやりとした事を話した。
"犬を連れた老人がマンションの敷地のところに止まっていた(止まるには不自然な場所)。入っていく私を見ているようで、雰囲気が妙だったので警戒して自宅階まであがった通路から目をやるとこちらを見上げていた"という話をした。
すると「そのおじいさんの連れている犬は、小型犬でしたか?」そうだと答えると「最近不審者として通報が入っている人かもしれない。あのあたりはよく通報があるんです。」と
特に若い女性の方はくれぐれも気をつけてと念押しされた。
昼間であろうと家に入る前、施設のトイレに入っていく時、近くにいる人や後ろを気にしたりするのはやはり警戒しすぎではないんだ。確信に変わった。
他人の悪意によって日々警戒の中にいる。なんでもない場所でも好奇の目はある。好奇は好意とはまるで違う。その視線の気味の悪さは、嫌気がさすほど女としてうまれた宿命を背負わせて、黙らせる。
女がどんなに強がっても 最大限の警戒なしには自分の身をひとりで守れない、平穏に暮らせない。これは女たちの沈黙の中にある事実だ。
たまにこうやって、どうしようもない女である苦しみに苛まれる。