![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/127708718/rectangle_large_type_2_6f9c10c7eac9d1f895f69a19d5760c9c.png?width=1200)
コンゴ民主共和国のサプールに関するアナザーストーリー
コンゴ共和国(元フランス植民地)がサプールの起源?
綺麗な服を着るという行為は「清潔でいること」を意味していて、清潔を保つことは「病気にならない」。つまり「健康であること」に繋がる。インフラ整備や医療が十分に行き渡らないアフリカにおいて「健康」というのは何よりも大事なこと。
歴史を振り返ってみると、サプールの起源は、1920 年~30年代のフランス領コンゴの社会運動家アンドレ・マツワという説が有力だと思います。
想像ですが、マツワが、清潔感あふれる西洋の装いでブラザビルに現れた時、コンゴの人々は度肝抜かれたでしょう。
コンゴ共和国の首都ブラザビルとコンゴ民主共和国(元ベルギー植民地)の首都キンシャサは、ボートでわずか5分ほどの距離です。
マツワの登場(マツワニズム含む)の噂は、キンシャサにも伝わったはずです。
マツワニズムは“非暴力主義”です。平和主義者のサプールは、さまざまな規制がされる国で「服による自由の抗議」をしたのです。
「武器は持たない。軍靴を履く代わりに平和のステップを刻む」
この精神は、キンシャサの人々も共感したのは間違いないでしょう。
キンシャサ・サプールのアナザーストーリー
キンシャサに伝わったサプール文化は、1965年に断絶の危機を迎えます。
クーデターを成功させて政権を掌握したモブツ・セセ・ココ大統領が、
国民にコンゴの伝統的な服装を強要したのです。
![](https://assets.st-note.com/img/1705293714891-imxakCbXX1.jpg?width=1200)
コンゴ民主共和国(DRC)は独立後(1960年)、サッカーが国家的な誇りの象徴となりました。
国家チーム「レオパード」が、アフリカネイションズカップで2回優勝(1968年・1974年)したことによって、サッカー熱はますます盛り上がります。
そして、1974年のドイツで開催されたFIFAワールドカップに、サハラ以南のアフリカから初めてのチーム出場する資格を得るという歴史的な成果を実現したのです。
W杯出場を巡る興奮にもかかわらず、ザイールチームは、一次リーグの第2戦:対ユーゴスラビア戦で9-0という“W杯史上最大の敗北の一つ”と言われる大敗を喫します。(第一試合:対スコットランド戦2-0で敗退。第三試合:対ブラジル戦3-0で敗退)
国家的な誇りと国際的な名声の象徴としてチームに大きく投資していたモブツは、チームのパフォーマンスに激怒します。
モブツは役人を送り、パフォーマンスが改善されない場合には選手たちに対して脅迫したと言われています。
選手たちは複雑な気持ちで帰国します。
W杯での難しい状況に同情する声もありましたが、パフォーマンスを批判する声もありました。
モブツは、サッカー予算の大幅縮小を発表しました。
ヨーロッパ大陸と地続きのため、サッカー選手としてビッグチームに引き抜かれることを夢見ていた若者たちは希望を失い、貧困に喘ぐ国内ムードは暗くなっていったのです。
DRCの暗闇に明かりを照らしたのは?
貧困から抜け出す手段は、国外でお金をもらう仕事に就くしかないという思いも壊れかけていたキンシャサの若者たちに、作詞家であり社会活動家であるステルヴォス・ニャルコス(Stervos Niarcos)が音楽を通じてメッセージを発して勇気つけていたのです。
そんな或る日、国民的ミュージシャンであるパパ・ウェンバがキンシャサで凱旋コンサートを開催します。
モブツ政権は、「コンゴの伝統的な服装でステージに上がるように」と警告しましたが、彼は聞き入れませんでした。
そしてパパ・ウェンバは、日本のブランドであるYohji Yamamotoを身にまとってステージ立ったのです。
![](https://assets.st-note.com/img/1705294820206-KY3sSQUf8H.jpg?width=1200)
もちろん、お洒落をしているだけでは儲からない。しかし、誇りは手に入る。
それ以降、若者たちに再び「服による自由の抗議」「服が汚れるから戦わない」というシンプルな哲学のもと、サプール文化が形を変えて蘇ったのです。
パパ・ウェンバにとっても最も影響を受けた一人が、ステルヴォス・ニャルコスなのです。
キンシャサでは今でも「サプール思想の父」であるステルヴォス・ニャルコスの命日にあたる2月10日には、敬意を表すために目一杯オシャレして、彼の眠る墓地に集うのが毎年の恒例行事となっているのです。
このエピソードで「サプールの存在意義」を理解頂けるはずです。
サプール文化の真髄は、ただのファッションやスタイルを超えていて、その精神は、今の日本社会にも深く響くものがあると思いませんか?
サプールは暗闇を照らす明かりのような存在なのです。
サッカーを愛し、ラスタファリアニズムによってジャマイカに平和を訴えた
Bob Marly を思い浮かべたのは私だけではないはずです。
↓ ↓ (お聴きください!) ↓ ↓